コラム

「日本学術会議」任命拒否騒動に見る国家と研究者の適切な距離

2020年10月06日(火)12時53分

これらの混乱した議論から垣間見えるのは、我々研究者自身が──それが手の届くところにあるところにある人々は別として──日本学術会議とは一体如何なる組織であるべきか、について確固たる理解を有しておらず、そもそもこの事件が起きるまで関心すら有していなかった事である。

現実の日本学術会議は制度的には内閣総理大臣所管の団体であり、政府に対する諮問機関の一つである。210人の会員は非常勤特別職の国家公務員であり、その選出においてはまず、会員或いは連携会員による推薦等に基づき、選考委員会が候補者名簿を作成し、総会の承認を経て、内閣総理大臣に推薦が行われる事になっている。

発足時には会員は研究者の直接選挙で選ばれていたが、1984年からは各分野の学協会(日本学術協力財団)が推薦する方式に変更になり、さらに2005年からは現会員が次の会員を選ぶシステムになっている。そこでは各学会に属さない、或いはその中で枢要の地位を持たない、例えば在野の研究者等がプロセスに介在する機会は皆無であり、その実態は個々の研究者を代表する「研究者の国会」というよりは、各分野の様々な有力学会が自らの有力者を送り込み、互いを承認しあうシステムだという方がふさわしい。もちろん学術会議委員の選出制度が今日の様な形に至った背景には、様々な政治的思惑が働いており、必ずしも研究者や学術会議の委員達が望んだ結果ではない。

とはいえ結果として存在する現実の制度は、極めてわかりにくいものである。実際、筆者自身も学会活動を開始してから30年以上、それなりに研究者として活躍しているつもりであり、幾つかの小さな学会の理事も兼任しているが、日本学術会議の委員に関わる推薦等に携わった事は無く、またその推薦がどの様な人々によってどのような経路で行われているかを聞いた事すらない。大多数の研究者にとって学術会議委員の推薦はどこか知らないところで誰かによって行われている、ものなのだ。だからこそ、比ゆ的な表現を使うなら、現状の学術会議は「研究者の国会」というよりは、既に各々の学会等で地位を築いた人々が互いに互いを選出する、「研究者の貴族院」或いは「枢密院」と言った方が現実に相応しい状況になっている、と言える。

諮問機関に入りたい人々

さて、この様に見た時、日本学術会議は我が国において最も「格式」の高い、しかしながら一つの政府諮問機関に過ぎない事がわかる。周知の様に、政府には数多くの審議会等の諮問委員会が存在し、様々な答申が日々行われている。そして、これらの政府関係委員会においては、その委員に、政府や官庁に近い人々が任命される事も多く、時に「官庁のラバースタンプ」と揶揄される事になっている。

実際の審議会等の委員の職は、それにより多くの収入を得られる訳ではなく、労多くして直接の経済的利益の少ない仕事だと言える。しかしながらにも拘わらず、多くの政府関係委員会が「ラバースタンプ」化する理由の一つは、これらの委員に選ばれる事が名誉である、とする考えがあり、研究者や彼らが所属する大学等がそのポストの確保に力を入れるからである。委員への希望者が幾らでもいるなら、政府は自らの望まぬ者を容易に拒否する事が出来る。代わりは幾らでもいるし、何よりも委員会に入りたい人達が自ら政府にすり寄ってくることすら少なくないからである。そこに政府と研究者──たとえそれが一部の人であるにせよ──の「癒着」と呼ばれても仕方のない、状況が存在する事は否定できない。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。最新刊に『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』。他に『歴史認識はどう語られてきたか』、『平成時代の日韓関係』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(読売・吉野作造賞)、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『高宗・閔妃』など。


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米EV税控除、一部重要鉱物要件の導入2年延期

ワールド

S&P、トルコの格付け「B+」に引き上げ 政策の連

ビジネス

ドットチャート改善必要、市場との対話に不十分=シカ

ビジネス

NY連銀総裁、2%物価目標「極めて重要」 サマーズ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 2

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 3

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前の適切な習慣」とは?

  • 4

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 5

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 6

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 7

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 8

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 9

    元ファーストレディの「知っている人」発言...メーガ…

  • 10

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる4択クイズ

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 6

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 10

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story