コラム

歴史的確執の乗り越え方は

2014年06月09日(月)08時00分

 前回に続いてもう少し、イギリスとアイルランドの関係について書こうと思う。前回のブログを読み返してみて、2つの島の確執だらけの歴史についてほとんど書いてこなかったことに気づいて自分でも驚いているところだ。

 イギリスとアイルランドの間にはあまりにいさかいが多く、短い文章ではとても表現できなかったから、と言い訳することもできるけど、それは本心じゃない。少なくとも、イギリスは数世紀にわたってアイルランドを支配し、アイルランド人にひどい扱いをした、ということは書けたはずだ。

 アイルランド人は土地を奪われ、イギリスから来たプロテスタントの支配階級が広大な領地を手に入れた。アイルランド人の政治的、宗教的、国民的アイデンティティーは抑圧された。アイルランド人の圧倒的多数はカトリックだったが、彼らがイギリスでプロテスタントと同じ権利を認められたのはようやく1829年になってからのことだった(それ以前のカトリックは、例えば国会議員にはなれなかった)。

 アイルランド人の暮らしは極貧そのものだった。数百万人いた小作人はみな一文なしだった。1845〜49年のジャガイモ飢饉の時、彼らには何の蓄えもなく飢えと戦う術もなかった。イギリス(当時のグレートブリテン王国)の援助は大失敗に終わった。

 イギリス人の地主のなかには、この飢饉を小作人を追い出すための好機と見る者もいた。そうすれば、高い賃料が取れる大規模農地を作ることができる。一方、作物が採れず、賃料も払えない小作人たちは農地も家も追われて丸裸になった。およそ100万人が餓死し、さらに100万人以上が外国への移住を余儀なくされた。

 イギリスの支配に対して何度か反乱も起こった。イギリスはそのたびに鎮圧し、加担した者を処刑したり投獄したりした。

■敵意一色だったわけではない

 アイルランド人に対するイギリス人の差別感情もひどいものだった。彼らは半ば野蛮人と見なされ、漫画ではほとんどサルのように描かれた。彼らは怠け者で愚か者と信じられていた。

 イギリス人に言わせれば、アイルランド人が貧しいのは(そして飢饉で死んだのは)、ひとえに自助努力が足りなかったからだ。その上、恩も知らない。栄えあるイギリスの一部である幸運に感謝するどころか、反乱を起こすとは!

 イギリスとアイルランドの関係が悪化したのは近代のこうした悪政に次ぐ悪政の結果だった。だがこの「一般的解釈」は今、ある程度見直されつつある。面白いことに、イギリスとアイルランドの歴史が抜きがたい敵意一色だったという単純過ぎる見方に最初に異を唱え、もっと微妙な捉え方を提唱したのは、アイルランドの歴史家たちだった。

 例えば、プロテスタントのイギリス議会は、最後にはカトリック教徒の差別的規定を撤廃した「カトリック解放法」を発令した。当時の首相だったウェリントン公爵は、本来保守派なのにも関わらず、解放令を通すためには精力的に働いた。

 さらにイギリスは1846年、アイルランドの飢饉を改善するため穀物法を撤廃し、自由に穀物が輸入ができるようにした。悲しいことに、この政策は根本的解決にはならず、穀物を買うカネもないアイルランド人を餓死から救うのには役立たなかった。

 独立に反対し、イギリス連邦の維持を叫ぶ「ユニオニスト」の最たるものだった保守党ですら、アイルランドの貧困に歯止めをかけようと努力した。1890年代から1900年代前半にかけて、イギリス人地主が不在にしている土地を強制収容し、人口過密地域の貧農のアイルランド人をそこに移住させた。

 それに対して自由党も、特にウィリアム・グラッドストーン首相の時代には、積極的にアイルランド問題に取り組んだ。アイルランド人に一定の自治を認める「アイルランド自治法案」を何度も議会に提出したのだ。結局、保守党の強硬な反対のために19世紀中にこれが成立しなかったのは、歴史上の大きな失点だったと思う。

■国家元首の相互訪問がカギに

 アイルランドの独立派はイギリスからの分離独立を勝ち取るため、1916〜21年に激しいゲリラ戦を行った。イギリスも徹底的に応戦し、罪のない多くの人々が犠牲になった。だがイギリスはついに、力だけでアイルランドを抑えつけることは不可能だと悟った(これが例えば旧ソ連のスターリン体制であれば、反政府派を殺し、拷問し、民族浄化し、歴史から抹消したかもしれないが)。

 僕が前回のブログでこのテーマについて書かなかったことについて、言い訳をするとすればこうなる――当のイギリスもアイルランドも今や、この件についてつべこべ考えなくなっているからだ。

 イギリスとアイルランドは、過去は認めつつもそこからは一線を画し、新たな未来を築こうという努力をしてきた。例えば1997年には、トニー・ブレア首相が飢饉当時のイギリス政府の責任を認め、謝罪した。またイングランドのリバプールには、飢饉の犠牲者のための追悼碑がある。ここは、何万人もの飢えたアイルランド難民が逃げ込んできた地だ。

 エリザベス女王は2011年、英国王としては100年ぶりにアイルランドを訪問。イギリスから独立を勝ち取るために戦った「英雄」たちの記念碑に献花した。実際のところ、これらの試みはイギリスとアイルランドが悲しい歴史を「分かち合う」姿勢を示し、過去の痛みを和らげようとしている。

 そして今年4月には、アイルランドのヒギンズ大統領が元首として初めて訪英した。歴史的な交流を強調して、融和をさらに推し進めようとしているのだろう。彼はイングランドに住むアイルランド系の住民や医療従事者に会い、シティーで開かれたパーティーに出席し、ロイヤル・アルバート・ホールで開かれたアイルランド文化祭にも出席した。

 こんな感じで、ヒギンズの訪英はある事実を映し出した。何世紀にもわたってアイルランドとイギリスは移住を重ね、混血もすすんでいること。アイルランド人の医師、看護師などはイギリスの医療サービス創設時から不可欠の存在であったこと。イギリスとアイルランドは互いに大切な貿易相手であること。両者の間には文化的にも密な交流があり続けたということ――。

 ヒギンズの訪英は、痛ましい過去よりも、こうした前向きな歴史に光を当てた。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

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