コラム

日本人彫刻家の氷のハートに魅せられて

2010年02月26日(金)17時32分


 僕は滅多にタイムズスクエアに行かない。周り道をして避けるぐらいだ。例え行くことがあっても、カメラを取り出して写真を撮ることはない。タイムズスクエアで写真を撮るという行為は、いかにも観光客的で僕には耐えられない。

 でも先日の暖かい日に、思い立ってタイムズスクエアに写真を撮りに行くことにした。すぐに出掛けなければ、僕が出掛ける理由は消えてなくなってしまうのだ。

 ニューヨークに住み始めて間もなく、僕は岡本武夫という氷の彫刻家に取材したことがある。クイーンズにある彼のスタジオで話を聞き、「世界が尊敬する日本人」の記事を書いた。今年のバレンタインデーにタイムズスクエアに設置された氷のハートを作ったのが岡本だと知って、溶けて水になってしまう前に見ておきたかった。

ハート2.jpg

ハート.jpg

 岡本への取材では、2つの話が印象深かった。1つは、彼が趣味で氷の彫刻を始めたときの愉快な話。彼はその当時アラスカで寿司職人をしていたのだが、アラスカには彫刻に適した氷がない、という。もちろん自然の氷ならいっぱいあるのだが、純度や質が彫刻には適していない。とはいえ物を冷やしたりする用途には十分なので、どこにも氷が売っていない。岡本は何キロも先の湖まで車を飛ばし、凍った湖の透明な氷を切り出して、家に持ち帰ったという。他の都市ならどこでも氷の塊が売っているのに、アラスカにはないなんて!

 もう1つは、岡本が氷の溶ける点に美学を見い出していたことだ。作品が溶けてしまうのは寂しくないか、とよく聞かれるそうだが、岡本はそうは思わない。氷が溶けることで、彫刻の形は変化していく。人間が手を加えたものではなく、自然が作る美しいラインが現れる。氷は溶けることでより美しくなるという。

 岡本が作った氷のハートを写真に収めた人はどれくらいいたのだろう。100万人とはいわずとも、数万人はいたはずだ。カメラを手にタイムズスクエアに立った僕は、喜んでその1人になった。

 


プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ロシア前大統領、トランプ氏の批判に応酬 核報復シス

ビジネス

香港GDP、第2四半期は前年比+3.1% 予想上回

ビジネス

台湾第2四半期GDP、前年比7.96%増 4年ぶり

ビジネス

物価見通し引き上げの主因は食品、政策後手に回ってい
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ関税15%の衝撃
特集:トランプ関税15%の衝撃
2025年8月 5日号(7/29発売)

例外的に低い日本への税率は同盟国への配慮か、ディールの罠か

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 2
    いま玄関に「最悪の来訪者」が...ドアベルカメラから送られてきた「悪夢の光景」に女性戦慄 「這いずり回る姿に衝撃...」
  • 3
    枕元に響く「不気味な咀嚼音...」飛び起きた女性が目にした「驚きの光景」にSNSでは爆笑と共感の嵐
  • 4
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
  • 5
    日本人の児童買春ツアーに外務省が異例の警告
  • 6
    【クイズ】1位は韓国...世界で2番目に「出生率が低い…
  • 7
    一帯に轟く爆発音...空を横切り、ロシア重要施設に突…
  • 8
    M8.8の巨大地震、カムチャツカ沖で発生...1952年以来…
  • 9
    街中に濁流がなだれ込む...30人以上の死者を出した中…
  • 10
    「自衛しなさすぎ...」iPhone利用者は「詐欺に引っか…
  • 1
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 2
    幸せホルモン「セロトニン」があなたを変える──4つの習慣で脳が目覚める「セロ活」生活のすすめ
  • 3
    囚人はなぜ筋肉質なのか?...「シックスパック」は夜つくられる
  • 4
    いきなり目の前にヒグマが現れたら、何をすべき? 経…
  • 5
    航空機パイロットはなぜ乗員乗客を道連れに「無理心…
  • 6
    中国が強行する「人類史上最大」ダム建設...生態系や…
  • 7
    いま玄関に「最悪の来訪者」が...ドアベルカメラから…
  • 8
    【クイズ】1位は韓国...世界で2番目に「出生率が低い…
  • 9
    「様子がおかしい...」ホテルの窓から見える「不安す…
  • 10
    枕元に響く「不気味な咀嚼音...」飛び起きた女性が目…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 3
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 4
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 5
    幸せホルモン「セロトニン」があなたを変える──4つの…
  • 6
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは…
  • 7
    囚人はなぜ筋肉質なのか?...「シックスパック」は夜…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    ロシアの労働人口減少問題は、「お手上げ状態」と人…
  • 10
    いきなり目の前にヒグマが現れたら、何をすべき? 経…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story