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親日だけじゃないジャック・シラク──フランス人が愛した最後の大統領
スタミナと人間味にあふれた最後の「大きな政治家」だった Philippe Wojazer PW-REUTERS
フランスで12年間大統領を務めたジャック・シラクが86歳で亡くなりました。シラクというと日本ではよく親日家の側面が取り上げられますが、政治家としての彼のことはあまり知られていません。フランス人にとっては、忘れがたい大統領です。
ジャック・シラクは、1932年にパリ5区のブルジョアな家庭で生まれます。身長192センチの若きシラクは根性のある学生でした。パリのエリート大学をあっと言う間に卒業すると、アルジェリア戦争に従軍。彼には戦争に行かない選択肢もあったのですが、そうしませんでした。愛国心というよりは、冒険好きな性格のためだったようです。
帰国後に政治家として修業します。当時のフランスの政治はシャルル・ド・ゴール大統領の後継争いで混戦模様でした。有望な若手が大勢いるなかで、シラクは最も優秀とはいえませんが、政治が大好きでスタミナは人一倍ありました。当時のジョルジュ・ポンピドゥー大統領に可愛がられ、1972年に39歳で農林水産大臣に抜擢されます。庶民的でさっぱりした人柄で国民に人気でしたし、若くてイケメンで、今の小泉進次郎を連想させるフレッシュな人選でした。
政治家として自分を追い込み、際どい挑戦を恐れなかった
1974年には41歳で首相に選ばれ、2年後に政策路線の違いから当時のジスカール・デスタン大統領に前代未聞の反抗をしてドカンと辞任(当時首相)、新党を立ち上げます。反乱者シラクの誕生です。45歳のときにパリ市長になり、約20年にわたってこの大都市を統治します。1980年ごろには、フランス政界のスター的な存在になっていました。
しかしその後2度の大統領選で完敗すると、負け犬のイメージになり、笑い者にもされました。不遇の10年間でした。
誰もが彼のキャリアは終わったと思った頃、彼は不死鳥のように甦りました。復活のきっかけは、選挙で治安の悪化やエコロジーなど洞察に富む的確な争点を打ち出したことです。その結果、1995年の大統領選で62歳で初めて当選します。失われた時間を戻すために。
シラク大統領は、天敵だったフランソワ・ミッテラン(元大統領)に負けない強い決断を次々と下しました。第二次大戦中のフランスの悪名高きヴィシー政権のユダヤ人虐殺の責任を公に認め、国として謝罪します。ヒューマニズムかと思ったら、直後には南太平洋の核実験を再開して国際社会から多くの批判を浴びます。
シラクはイメージアップにはさほど関心がなく、政治家として常に自分を追い込み、際どい挑戦を恐れませんでした。1990年代後半、兵役の義務を廃止すると、アラブ文明が好きな彼はアメリカの中東外交にも極めて懐疑的な姿勢を見せ、9.11後のイラク戦争ではアメリカを敵に回すことも恐れず、フランス軍が「有志連合」に参加するのに反対します。
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