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コラム
瀧口範子@シリコンバレーJournal
エドワード・スノーデンは国家反逆罪に値するか
アメリカ陸軍上等兵のブラッドリー・マニングに対して、軍事法廷が有罪判決を言い渡した。ウィキリークスに70万点に上る外公電やアフガニスタン、イランでの戦地の報告書、ビデオ映像などの機密文書をリーク(漏洩)した罪だ。
この判決を聞いた人々の頭にすぐ浮かぶのは、「それでは、スノーデンはどうなるのか」だろう。エドワード・スノーデンは、NSA(アメリカ国家安全保障局)が秘密裏にアメリカ国民や海外の人々の電話、メール、チャット、ビデオや写真画像などの個人情報データを取得していたという事実を、英米の新聞社にリークした人物。彼はリーク直後にアメリカを離れ、現在モスクワ空港のトランジットエリアに身を隠している。
このふたつのリークは、何が共通していて、何が違っているのだろうか。それは、国家の裏切り者、情報漏洩者、内部告発者のどこに位置づけられるかの違いによる。
マニングの罪状は、5件のスパイ行為、5件の窃盗、コンピュータ不正利用など19件。敵幇助罪については無罪を認められたため終身刑は免れたものの、19件の罪状を足すと最大で禁固136年にもなる判決が下ったことになる。
ただ、日本ではそれほど報じられていないようだが、アメリカのメディアではこの敵幇助罪での無罪が大きく取り上げられている。というのも、この罪で有罪判決が下されると、国家反逆罪を冒したと同じ最大の罪となり、その結果、マニングは「裏切り者」のレッテルを貼られるからだ。アメリカを敵に売り渡すことを目的にリークしたわけではないと認められたのは、ことに軍人であるマニング側にとって大きな勝利だったのだ。
ちなみに、これはジャーナリズムにとっても安堵となった。政府側は、メディアがリーク文書を広く公にしたためにアルカイダなどアメリカの敵対者がその情報を手にし、それがいずれアメリカを不利な状況に陥れたとして敵幇助罪を求めていた。ウィキリークスもメディアとみなすと、メディアに対してリークすることがすぐさま敵幇助とみなされるのならば、誰もメディアを通じた内部告発をしなくなる。そうした状況となるのが、怖れられていたのだ。
そして、もし敵幇助罪でマニングへの判決が有罪になっていたら、政府はスノーデンを同罪でも起訴しただろうと言われている。政府側は、出鼻をくじかれた。司法省はすでにスパイ行為、窃盗などでの告発を行っているが、敵幇助罪があてはまらなくなるという点では、ふたつのケースは共通している。
けれども、ここからは同じリークでも微妙な違いが出てくる。
まず、マニングの場合は、自らリークを認めている上、今回の判決では内部告発という意図が認められなかった。つまり、公に政府の不正行為を明らかにするという目的よりも、情報を盗み出す、あるいはメディアに情報を漏らすというスパイ行為を行ったという位置づけだ。国家の利益を損なうという悪意がないことを、完全には証明できなかったためだ。また、漏洩した文書があまりに大量に上るため、彼がまともな判断力を行使していたかどうかも怪しかった。
一方、スノーデンの場合は、マニングのように途方もなく大量の文書を一気にリークするのではなく、選び抜かれた核心のものだけをリークしている。また、リークの相手として選んだジャーナリストの一人は、市民的自由の問題を長年追究してきた専門家だった。国内に留まったままだとスパイ行為で起訴されることを計算した上で、国外に脱出し、第三国への亡命を求めている。これらの行動は、あくまでも内部告発者として一貫しているのだ。ただし、アメリカが中国に対してもスパイ活動を行っていたと暴露したことは、マイナスポイントだ。
興味深いのは、何よりもリークした機密文書の内容自体がこの二人を分けていることである。マニングのケースでは、外交公電で明らかになった各国大使館からの微細にわたる報告や、一般市民を巻き添えにしたアメリカ軍攻撃のビデオ映像などの内容が、これまで一般の人々には知り得なかったもので、一時は注目が集まった。だが、一般人の興味もそれまで。「なぜ、こんな内容が機密文書に分類されているのか。開示されるべきだ」という議論が起こるかとも思われたが、それもなかった。
しかし、スノーデンの場合は、一般人が「自分も」NSAのプリズム・プログラムの個人情報データ収集の犠牲になっていたのが明らかになったことで大きく世論が動き、NSA に対する批判も高まっている。それを受けて、議会でもプリズム・プログラムが行き過ぎでないのかという議論が出てきている。当の個人情報データ収集に関する機密文書の一部がそれ以降、機密分類からはずされたりもしている。
これは、スノーデンがもしアメリカ国内で裁かれることがあった場合、判決を左右する可能性もある。スノーデンはマニングのように軍人ではなく、一般市民。したがって、裁判では一般市民からなる陪審員が判決を下す。確率が決して高いとは言わないが、スノーデンの告発は国民にとっていいことだったという何らかの判断が組み込まれる場合もあるのだ。ただし、これを期待するのはリスクが高く、投獄を免れたいスノーデンが亡命を図るのは、正しい判断だ。
二つのケースの共通点はもうひとつあった。インターネット時代のテクノロジーの威力だ。マニングの場合は、ウィキリークスというしくみによって大がかりなリークを行った。スノーデンの場合は、大がかりなプライバシー侵害がテクノロジーによって行われていることを明らかにした。すでに国家機密もそれを暴露する手段も、従来にはないほど大規模な時代になっているということだ。そして、それゆえに、マニングは漏洩した情報の量の点で、スノーデンは質の点で、裁判所が重罪を課しかねない犯罪を冒したとみなされるのだ。
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