コラム

黒田総裁の「敗北宣言」で日銀は白川時代に戻った

2015年01月22日(木)15時58分

 日本銀行が1月21日に公表した展望レポートの中間評価では、2015年度の消費者物価上昇率を1.0%とした。これは昨年10月の見通しから0.7%の大幅な下方修正で、黒田総裁の設定した「2015年度中に2%」のインフレ目標は不可能になった。

 この最大の原因は、原油価格の暴落である。日銀の基準としているコアCPI(生鮮食品を除く総合物価指数)はエネルギー価格を含んでいるため、金融政策でコントロールできない資源相場で攪乱されやすい。図のようにコアCPIは昨年5月には1.4%まで上がり、2%の目標実現も不可能ではないと思われた。

消費者物価上昇率(消費税分を除く)出所:総務省

消費者物価上昇率(消費税分を除く)出所:総務省

 しかし図をよくみると、このときコアコアCPI(食料・エネルギーを除く)は0.2%に下がっている。秋から原油価格の影響でコアCPIが下がったため、黒田総裁は昨年10月末に追加緩和をしたが、その後も原油価格は30%以上も下がったので、このまま行くと今年後半には、アメリカのようにコアCPI上昇率がコアコアCPIを下回る可能性もある。

 21日の記者会見では、物価見通しの下方修正について「インフレ率が2%に達する時期は2016年度以降にずれ込むのか」という質問が記者団から相次いだが、これまで強気だった黒田氏は次のようにトーンを変えた。


「2015年度を中心とする期間」と言っていますので、その前後に若干はみ出る部分はあることは、「2015年度を中心とする期間」という言い方が始まって以来、その通りだと思いますが、何カ月はみ出るのかとかそうしたことは、当面や当分と同じように、常識的に判断して頂くしかないと思います。


「2015年度を中心とする期間をはみ出る」とはわかりにくい表現だが、これはインフレ目標の期限を2016年4月以降に延期するものだ。当初の目標は、岩田副総裁が国会で明言した「2015年3月」だったので、1年以上も延期することになる。目標から「はみ出る」のは何カ月か、黒田総裁は明言しなかった。

 これは実質的な無期延期で、白川総裁の時代に日銀が設定した物価安定の理解と同じだ。そこでは「中長期的な物価安定の目途」について「日本銀行は、消費者物価の前年比上昇率で2%以下のプラスの領域にあると判断しており、当面は1%を目途とすることとした」と書かれている。

 この「目途」という言葉が曖昧で達成期限も示されていない、というのが黒田氏などのリフレ派の日銀批判だったが、もともとインフレ目標は期限を設けて積極的に達成する目標ではない。それは金融緩和が際限なく行なわれることを防ぐ歯止めなのだ。

 金融緩和は短期的には景気刺激の効果があるが、長期的にはインフレ率を高めるだけで実質的な効果は消えてしまう。このため中央銀行の裁量を制限し、ルールにもとづいて運営しようというのがインフレ目標の考え方だ。

 黒田総裁はこの意味を誤解して「2015年度中」という期限を設定し、それを日銀が手段を選ばないで実現すると約束してしまった。こういう数値目標が有効なのは、それを実現する手段を日銀がもっている場合に限られるが、ゼロ金利では物価を上げる手段がない。

 その結果が、2%の目標を実質的に撤回する敗北宣言だ。日銀総裁が「輪転機ぐるぐるでインフレにするぞ!」といえば国民が信じてインフレが起こる――というのは、社会実験としてはおもしろかったが、黒田氏の仮説は反証されたのだ。

 こんなことは最初からわかっていた。黒田氏は2年かけて経済学の通説を確認しただけだが、あとには300兆円以上の国債が残される。今後は実験結果を素直に認め、2018年4月までの任期のうちに出口戦略をまっとうすることが、彼に残された最大の仕事である。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中ロ首脳、連携確認 上海協力機構「多極化世界の安定

ワールド

英野党・労働党、近代史上最大過半数確保の勢い 4日

ワールド

ザポロジエ原発にウクライナの無人機攻撃、8人負傷=

ビジネス

米貿易赤字、5月は751億ドルに拡大 輸出が低迷
MAGAZINE
特集:中国EVの実力
特集:中国EVの実力
2024年7月 9日号(7/ 2発売)

欧米の包囲網と販売減速に直面した「進撃の中華EV」のリアルな現在地

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    黒海艦隊撃破の拠点になったズミイヌイ島(スネークアイランド)奪還の映像をウクライナが公開
  • 2
    韓国が「佐渡の金山」の世界遺産登録に騒がない訳
  • 3
    キャサリン妃も着用したティアラをソフィー妃も...「ロータス・フラワー・ティアラ」の由緒正しい歴史とは?
  • 4
    ありなの? 飛行機の隣席に40kgの大型犬アメリカン…
  • 5
    北朝鮮を訪問したプーチン、金正恩の隣で「ものすご…
  • 6
    爆風で窓が吹き飛ぶ衝撃シーンを記録....「巨大な黒…
  • 7
    ウクライナ戦闘機、ロシア防空システムを「無効化」.…
  • 8
    「地球温暖化を最も恐れているのは中国国民」と欧州…
  • 9
    北朝鮮の欠陥ノーコン弾道ミサイル、遂に首都を脅か…
  • 10
    H3ロケット3号機打ち上げ成功、「だいち4号」にかか…
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    メーガン妃が「王妃」として描かれる...波紋を呼ぶ「帰ってきた白の王妃」とは?
  • 3
    爆破され「瓦礫」と化したロシア国内のドローン基地...2枚の衛星画像が示す「シャヘド136」発射拠点の被害規模
  • 4
    ウクライナ戦闘機、ロシア防空システムを「無効化」.…
  • 5
    ガチ中華ってホントに美味しいの? 中国人の私はオス…
  • 6
    ミラノ五輪狙う韓国女子フィギュアのイ・ヘイン、セク…
  • 7
    キャサリン妃は「ロイヤルウェディング」で何を着た…
  • 8
    H3ロケット3号機打ち上げ成功、「だいち4号」にかか…
  • 9
    「大丈夫」...アン王女の容態について、夫ローレンス…
  • 10
    キャサリン妃も着用したティアラをソフィー妃も...「…
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    ラスベガスで目撃された「宇宙人」の正体とは? 驚愕の映像が話題に
  • 3
    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開するシーン」が公開される インドネシア
  • 4
    「世界最年少の王妃」ブータンのジェツン・ペマ王妃が…
  • 5
    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車…
  • 6
    新型コロナ変異株「フラート」が感染拡大中...今夏は…
  • 7
    メーガン妃が「王妃」として描かれる...波紋を呼ぶ「…
  • 8
    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思ってい…
  • 9
    我先にと逃げ出す兵士たち...ブラッドレー歩兵戦闘車…
  • 10
    爆破され「瓦礫」と化したロシア国内のドローン基地.…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story