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プーチンの戦争が終わらせる戦後日本の「曖昧な平和主義」
振り返ればウクライナ東部の2つの(自称)ロシア系共和国の「独立」について、親露派の少数の国のみが承認し、しかし多数派諸国は認めない立場を堅持する。そうした「曖昧な状況」を長く続けてゆくという形で、問題を決着させる仕方もあり得たのかもしれない。
そのまま事態が膠着し、ロシアのウクライナ全土への侵攻というエスカレーションなしで止まれば──双方の陣営が居心地の悪い環境にはおかれつつも──人的な犠牲は少なくて済んだろうが、いまその選択へと立ち戻るのは、かつてなく難しい。
あるいは開戦の回避が模索された時期、フランスのマクロン大統領はプーチンにウクライナの「フィンランド化」(一定程度、大国に従属した上での中立化)を提案したのではと報じられ、賛否を呼んだ。
いずれにせよプーチンは仲介を蹴り、軍事力でウクライナを「曖昧さの余地なく」従属させることを目指したが、結果としてフィンランドの方も冷戦期以来の路線を放棄し、「明瞭な形で」NATOに加盟する道を選びつつある。
単なる個別の政策・軍略を超えて、かように国家の正統性や存立の全体が「曖昧さ」によって支えられてきた秩序は、いま崩壊の危機にある。そしてその滅びつつある国際社会のあり方こそ、実は私たち日本人が戦後、最もなじんできた性格のものだ。
冷戦下に形成され今日まで続いている、いわゆる「2つの中国、2つの朝鮮」の体制がそれである(拙著『荒れ野の六十年』勉誠出版)。
それらは本来、第二次大戦というよりも、朝鮮戦争(1950-53年)の「戦後秩序」にあたっている。同戦争の開戦以前、腐敗した蒋介石の国民党政府(台湾)の評判は悪く、米国のトルーマン政権はもし大陸中国からの侵攻が起きても、見放す直前にあったとされる。
開戦後にはまず北朝鮮、次いで国連軍に支援された韓国が38度線を大幅に超えて侵攻し、明示的に統一された「1つの朝鮮」を目指した。今日の東アジアにおける分断国家の体制は、双方の試みがともに「挫折」した結果生まれた妥協点にすぎない。
朝鮮戦争では当時の東西陣営の勢力均衡が、最後は国家の正統性を曖昧にする(=2か国のうちどちらが正統かに含みを持たせておく)体制に帰結した。
その約70年後に勃発したウクライナ戦争は果たして、逆に国家の存立をめぐる「曖昧さの解消」に帰着する形で終わるのだろうか。
実際、とくに2008年のブカレスト宣言以降、ウクライナはNATOの一員になり得るのか否かを「曖昧にしてきた」欧米諸国の姿勢が、かえってプーチンに侵略の誘因を与えたとする批判は強い。
転じて東アジアでも、米国は台湾に関して「もし中国が侵攻するなら軍事介入する」と、あらかじめ明言しておく戦略的明瞭さ(Strategic Clarity)へと方針を転換した方が、戦争を未然に抑止できるとする主張も目立ってきている。
しかしすでに始まってしまったウクライナ戦争を、「核の力」なしに曖昧さなく終えることができると、確信をもって断言できる識者はいない。
朝鮮戦争下で中国大陸への直接攻撃を唱えたマッカーサーは、第三次世界大戦を懸念したトルーマンに更迭され、それが結果的に米軍の原爆使用を防いだ。対して今回プーチンを「解任」できる上位の主体は、ロシアの内にも外にもいない。
私たちはいま、曖昧さによる共存という「朝鮮戦争の戦後レジーム」を維持できるのか否かを、極東の地にあって試されているともいえよう。そうした目に見えぬ次元を意識することこそが、青と黄のウクライナカラーで可視的に示される連帯以上に、彼らの悲劇を自らの問題として受けとめることではないかと思う。
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