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ヴィズマーラ恵子|イタリア

パラリンピック初、イタリア代表のトランスジェンダー選手が出場

Shutterstock- noriox

パリオリンピックですでに、性分化疾患、XY染色体、女子ボクサー性別騒動が起きたことは記憶に新しい。イマネ・ケリフ選手とは、ケースは大きく異なるが、パラリンピックでもまたジェンダーアスリート問題について騒動が起こりそうな、イタリア代表の選手を紹介したい。

今のところパリ・パラリンピックでは特に論争は起きていない。

パラリンピック「初のトランスジェンダー」、イタリア代表のヴァレンティーナ・ペトリッロ選手は、視覚障がいのあるスプリンターとして、女子 200m - T12と女子400m - T12で走る予定だ。

彼女は、1973年10月にナポリで生まれた51歳。陸上選手になるのは小さい頃からの夢だった。
1980年モスクワ五輪陸上男子200メートルで、イタリア代表ピエトロ・メンネア選手が金メダルをとったのを見た瞬間、自分も陸上選手になってオリンピックに出場したいと思うようになった。しかし、14歳の時にシュタルガルト病(若年性遺伝性黄斑ジストロフィー症)と診断され、進行性の視力喪失を患い、側方視野が限られており、中心視野がない視覚障がい者となった。

そして、夢はオリンピック出場からパラリンピック出場になった。

ペトリッロ選手は10代の頃にシュタルガルト病目の変性疾患を患っていると診断されたが、彼女は、直面した困難にもかかわらず、自分は幸運だと考えていた。


| ペトリッロ選手のパラリンピックまでの道のり

男性として生まれたファブリツィオ・ペトリッロは、「イタリア代表の着る青いユニフォームを着て、オリンピックに出たかった。でも、自分が男性であるとは感じられなかったので、女性としてそれを実現したかったのです。」と言う。

幼い頃から、家にあった母親のマニキュアを指に塗り、胸をときめかせている少年だった。自分は女の子だと感じていたが、両親を失望させたくないし、偏見が阻んだことで、死ぬまで自分だけの秘密にしておきたかった。20歳の時大学に通うためにボローニャに移り、視覚に障害のある人のための専門学校で、コンピューター サイエンスを学んだ。ここで彼女は再びスポーツを始め、視覚障がい者のためのイタリアの5人制サッカー代表チームのメンバーとなった。

彼女は41歳になってようやくランニングを再開し、視覚障がいアスリートの男子T12部門で3年間で11 回の国内タイトルを獲得している。

そして、エレーナさんと出会い、後に結婚し、息子を授かった。エレーナさんには、以前の交際相手との間に生まれた娘カテリーナちゃんもおり、4人での生活が始まった。

人生のほとんどを男性ファブリツィオ・ペトリッロとして過ごし、結婚し、二人の間に息子も誕生したが、しばらくすると心のバランスが崩れ始め、2017年に「一度、女装をしたことがあるって話したのを覚えている?あれ、一回だけじゃないの。女装は毎日なの。」と、妻に自分の性自認をカミングアウトした。

妻のエレーナさんはひどくショックを受けたそうだが、献身的に夫のサポートをし、2018年にヴァレンティーナという女性として生活をスタートした。2019年1月にはホルモン療法を開始した。

その時のことをペトリッロ選手は、「ホルモン療法始めてから、代謝は変化しました。私は以前のような精力的な人間ではなくなりました。移行の最初の数か月間で、体重が10kg増加し、以前のように食べることができなくなり、貧血になり、ヘモグロビンが低下しました。いつも寒いし、体力は以前より落ち、睡眠の質もいつもと違うし、気分が安定せず、パフォーマンスが低下し、90日間は走ることもできませんでした。身体中に激しい痛みがあったので、本当に破壊的な数か月でした。」と、トレーニングをしているトラック上で行われたインタビューで語った。

彼女は今、イタリアのボローニャ郊外に住んでおり、2019年1月に性転換移行プロセスを開始して、2020年にずっと大好きだったスポーツを実践するために女子カテゴリーに出場するという夢を実現した。
40年後、51歳になったペトリッロ選手は、ついにパリ・パラリンピックで夢を実現しようとしている。

彼女は、 パラリンピックに出場する初のトランスジェンダー女性アスリートとなったのだ。

ペトリッロ選手は、テストステロンレベルを測定し、女性化ホルモン療法を行うために毎週血液検査を受けていると言う。

| 陸上競技におけるトランスジェンダー規制と反発

昨年、世界陸連はトランスジェンダー女性が思春期後に性転換した場合、国際大会の女子部門に出場することを禁止した。
しかし、パラリンピックに相当する世界パラ陸上競技選手権大会はこれに追随しなかった。

国際オリンピック委員会(IOC)は、女子競技会に参加するトランスジェンダー選手は、競技目的での性自認を女性であると宣言し、性自認を女性であるという証拠を提出しなければならないと述べた。
最初のレース前の少なくとも12か月間、テストステロンレベルが血液1リットルあたり10ナノモル未満である。

トランス女性のためのホルモン療法は、テストステロンレベルを下げ、エストロゲンレベルを女性の典型的な値まで上げるように設計されている。

ペトリッロ選手は、ホルモン治療開始から6カ月後、彼女は400メートルで約11秒、得意の200メートルで約2.5秒タイムを失った。しかし、それは彼女が受け入れた犠牲だ。

・テストステロンレベル

テストステロンは、思春期後に骨と筋肉の量と強度を増加させる天然ホルモンである。
成人男性の正常範囲は血液1リットルあたり最大約30nmol/L、女性の場合は 2 nmol/L未満とする。

陸上競技では、1 リットルあたり 5 ナノモルテストステロン未満であるとき、女子カテゴリーに出場することを意図しているアスリートに許可される。
ペトリッロ選手は、連続12か月でテストステロン濃度が 5nmol/L 未満であることが認定された。
彼女の女子陸上競技デビューは2020年9月11日だった。

彼女は2020年に女性として初めてレースを走った欧州パラ陸上競技選手権大会では5位に入賞した。
昨年の世界パラ陸上競技選手権大会では200メートルと400メートルで銅メダルを獲得した。

ほとんどの女性のテストステロン含有量は血液1リットル当たり2ナノモル未満である。ペトリッロ選手は現在、一貫して 1 リットルあたり 2 ナノモルのレベルを大幅に下回っている。

世界パラ陸上競技連盟(WPA)は、「WPAの立場は、今後のルールに対する変更は、チームや選手との十分な協議を経て、関係者全員の権利と利益を考慮した上で検討される」と述べている。

・パラ陸上世界選手権大会での論争

昨年、パラ陸上世界選手権大会で、スペインのメラニ・ベルジェス選手は準決勝で4位になり決勝進出を逃し、パラリンピック出場のチャンスを失った。
僅差で破ったペトリッロ選手は優勝した。
この敗北の結果後、スペインで論争の煽りが始まった。

ベルジェス氏はこれを「不正義」と呼び、スペインのスポーツサイトRelevoに対し、「私たちはトランスジェンダーの人々を受け入れ、尊重しているが、私たちはもはや日常生活について話しているのではなく、強さと体格を必要とするスポーツについて話しているのです。」と語った。
ヴァレンティーナ・ペトリッロ選手がパラリンピック参加に対して、抗議しているフェミニスト団体は40以上にのぼった。
そして、「女性抹殺に反対する同盟」も声明を発表した。
国内外のいくつかの女性協会、連合体、NGOは、ペトリッロ選手の出場資格を争うために、スペインパラリンピック委員会に訴え、トランスジェンダー選手が出場資格のないカテゴリーで有利に出場したと主張をした。

2020東京パラリンピックの男子400メートルT62で銅メダルを獲得した、陸上アメリカ代表ハンター・ウッドホール選手とドイツ代表のマルクス・レーム選手は、トランスアスリートのヴァレンティーナ・ペトリッロ選手のパラリンピック参加について尋ねられた際、「今回のようにルール内で行われる場合には、出場権はないと思う。それらは問題だ。」と答えた。

このスポーツでは、さまざまなレベルの障害を持つアスリートの間で競争の場をどのように平等にするかという問題にすでに取り組んでいるが、ペトリッロ選手の競技者の中には、ペトリッロ選手には障害がある上にトランンスジェンダーであるということは、「不当な利益だ」と主張する人もいる。

ブレシアの弁護士で35歳以上の「マスター」部門のランナーでもあるファウスタ・クイレリ氏は、イタリア陸連会長と機会均等・スポーツ省にペトリッロ選手の女子レース出場権に異議を唱える嘆願書を送った。

「彼女の身体的優位性は競争を不公平にするほど明白です」と彼女は言い、体格も要因であるのにIOCがテストステロンだけに焦点を当てるのは「意味がない」と主張した。30人以上の女性マスターアスリートが請願書に署名している。

スペインパラリンピック委員会 広報担当者は、「我々は現在、ヴァレンティーナ・ペトリッロ選手の場合のように、女子部門に出場すべきかどうか疑問を抱く人々の気持ちはある程度理解できます。トランス女性の出場を認めている世界パラ陸上競技大会の規定を尊重しているが、この件に関しては、将来的には私たちは、オリンピック界との基準の統一に向けて進むことが適切であると信じています。今後に期待しています。」と述べ、昨年からその立場は変わっていないとAP通信に語っている。

| トランスジェンダーの権利と擁護

陸上競技におけるトランスジェンダー規制と反発

イタリアのパラリンピック委員会は、IOCが資金提供したトランスジェンダーアスリートについての研究で、4月に英国スポーツ医学ジャーナルに発表された研究結果に基づいていると言及し、トランスジェンダー女性が肺機能や下半身の筋力など、身体的な観点から実際にどのように不利な立場にあるかを示した。
イタリアのパラリンピック陸上競技連盟が所属するフィスペスのサンドリーノ・ポル会長も彼女の支援を怠らず、前回大会に出場した後、2020年にイエゾーロで開催されたイタリア選手権でも、「女子部門」で出場することを保証した。

イタリアでは、右翼は激怒し、主権主義者や過激派は衝撃を受けた。このトランスジェンダーアスリート問題は、それぞれの人権を尊重し、より慎重で敬意を払う必要があり、物議を醸すテーマについては議論にオープンであるべきである。

国際パラリンピック委員会(IPC)アンドリュー・パーソンズ会長は、「私は批判を覚悟している。しかし、私たちはルールを尊重しなければなりません。現時点では、世界陸上競技規則では彼女の出場が認められているため、他のアスリートと同様に歓迎されるだろう。 トランスジェンダーアスリートに敬意と込めて私たちが話し合うのは、正しいことだと思う。しかし、私たちは他のアスリートに対しても公平でありたいと思っているので、科学によって答えが得られるはずです。私が将来見たいのは、この問題に関してスポーツ界全体が一致した立場を持つことである。」と述べている。

| トランス女性アスリートに優位性はあるのだろうか

英国ラフバラー大学スポーツ・運動健康科学部のジョアンナ・ハーパー氏が主導する、トランス女性アスリートに対するホルモン療法の正確な効果に関する研究に、ヴァレンティーナ・ペトリッロ選手が協力をしている。自身もトランスジェンダーのランナーであるハーパー氏は、ホルモン療法が運動パフォーマンスに及ぼす影響を直接研究しているのだ。

研究の結果、「トランスジェンダーの女性は、ホルモン療法後であっても、平均してシスジェンダーの女性よりも背が高く、大きく、強い。これらは多くのスポーツにおいて利点です。しかし、これには別の側面もある」と指摘した。

「トランスジェンダー女性は現在、筋肉量の減少と有酸素能力の低下により大きな体格に力を入れているため、素早さ、回復力、持久力などの点で不利になる可能性がある。ホルモン療法の効果を完全に理解するには、少なくともあと10年の研究が必要だ。」と、結論づけた。

『スポーツ・ジェンダー』の著者でもあるハーパー氏は、有意義な競争こそが、男性と女性の区分をはじめとして、すべてのスポーツカテゴリーを定義する鍵であると述べている。

ヴァレンティーナ・ペトリッロ選手の出場するパラ陸上競技は、クラス分けが、文字と数字によって表示される。

「T」はトラックと跳躍種目、「F」はフィールド種目を示している。数字は障がいによって以下のように定められている。

11-13:視覚障がい
20:知的障がい
31-38:脳性まひなどによる協調運動障がい
40-47:低身長、上肢の切断およびそれに相当する障がい、下肢の切断(義足なし)およびそれに相当する障がい
T51-54:車いす
F51-58:投てき台
61-64:下肢の切断(義足あり)

ペトリッロ選手は、女子 200m - T12と女子400m - T12、9月3日と9月7日に出場する。T12は視覚障害の3つのグループのうちの1つで、彼女はヨーロッパパラ陸上競技選手権大会では、T13の最も軽度の視覚障害を持つランナーのためのグループで400メートル競技に出場している。

ペトリッロ選手は、特に雨の後、トラック上のペイントされたラインが見えにくいと感じることがあるという。彼女の好みは、青いトラックに白いラインが引かれた競技場である。その色彩と明暗のコントラストがなければ、健常者と競技する場合は、ゴールラインが見えないため、最後のラストスパートのタイミングがわからないのが不利なのだと言う。

実生活では、妻のエレーナさんとは離婚している。現在は「元妻」と呼んでいるが、元妻エレーナさんは9歳の息子とペトリッロ選手の3つ上の兄と一緒にパリまで応援に駆けつるそうだ。

ペトリッロ選手:「残念なことに、私たちは依然としてトランスジェンダーの人々が疎外されている状況に住んでいます。彼らは、彼らに値する書類上の性別を私がしたように変更することはできず、彼らに値する尊敬も得ることが決してできないでしょう。だから私の思いは彼ら、私よりも恵まれなかった人々に向けられています。」と述べた。

なんと、イタリアでは 『5ナノモル - トランス女性のオリンピックの夢』という彼女の東京パラリンピックへの取り組みについて語ったドキュメンタリー映画も製作された。
また、現在ペトリッロ選手は、多様性の価値観と少数派の尊重をテーマにした自叙伝を執筆中で、パリ・パラリンピック後にカポヴォルテ・エディツィオーニ出版社から販売される予定だそうだ。

YouTube 「イタリア初のトランスジェンダーアスリート、ヴァレンティーナ・ペトリロの物語」より

 

Profile

著者プロフィール
ヴィズマーラ恵子

イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie

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