南米街角クラブ
アルバム制作不可⁉イデオロギーによるブラジル音楽界の分裂
1807年、ポルトガル王室はフランス軍による侵入から逃げるように植民地ブラジルのリオデジャネイロに大移動。首都が再びポルトガルに戻るまでの間、街は大きく変化を遂げた。
ブラジルにはポルトガルの皇太子ドン・ペドロが残ったが、ポルトガル王室がブラジルをまた植民地的な立ち位置にしようとしたために反乱が起こり、ブラジルは1822年9月7日に独立宣言を行った。
しかし、独立とは言っても奴隷制度が廃止されたのは1888年のため、国民全員が"自由"に生きられたわけではない。
9月7日、独立記念日は街中が黄色と緑色に染まる日だ。
国民の祝日として例年通りなら各地でイベントが行われる。
コロナウイルスの感染者数が低下し始め、ほんの少しだが希望が見え始めた今年の独立記念日。本来ならば社会的距離を保ちながら楽しくお祝いしたいところだが、残念ながらそれどころではなかった。
|クーデターの噂もあった今年の独立記念日
ブラジルの大統領ボウソナロ氏は、コロナウイルスを軽視している人物として日本のニュースによく登場していただろう。
彼は2018年の選挙で国民投票によって選ばれた大統領だが強烈なアンチも多く、パンデミック中の言動や対応でかつての支持者からも愛想をつかされ支持率は低下、Folha誌の調査では54%が次期大統領選挙でボウソナロに投票しないと答えている。
そんな中、この独立記念日に大統領支持者たちが大規模なデモを行うことを匂わせはじめ、起業家たちが資金を募ってバスをチャーターし、首都ブラジリアと南米最大都市サンパウロに支持者を集めるとの話が浮上した。
また、その結果によっては物流ストライキや、クーデターが起こる可能性があることもSNSで拡散され国民を不安にさせたのは間違いない。
大統領支持者らが抗議に及んだ経緯を非常に簡潔に説明すると
・来年に控えた大統領選挙に向けて、これまでの電子投票制度では不正があると指摘し、印刷付電子投票にするという大統領の発案が選挙高裁に却下されたこと
・過激発言をした大統領派ブロガーが最高裁に逮捕されたこと
だったのだが、デモ参加者数は予想を遥かに下回る結果に終わり、クーデターに至ることもなかった。
少ないと言っても15万人が集まる"密"に、コロナウイルスは一体どこにいったのか。大統領派だけでなく、反大統領派の大規模なデモもサンパウロを始めとする大都市で行われた。
|トラック運転手らがとばっちりを受ける?
独立記念日のデモが終わった後、大統領派のトラック運転手たちが州道を封鎖する事件が起こる。
報道では確かに"トラック運転手ら"と書かれており、この抗議のトップに立っていたのは自称トラック運転手のゼー・トロヴァオンという人物だ。
しかし、信じていたはずの大統領から州道封鎖を辞めるようにと指示があった。当初ゼーは本当に大統領の命令なのかと信じられず、失望した様子だったが、逃走先のメキシコから「もうボウソナロを支持する旗を下げろ!我々は最高裁と闘っているんだ!」と同士にビデオレターを送った。
実はこのゼー・トロヴァオン、トラック運転手の協会関係者などから「見たことがないし、聞いたこともない。」と言われており、インターネット上ではトラックどころか運転免許証すら持ってないとも言われていた。
大統領の指示通り、州道閉鎖は解除され混乱は免れたものの、真面目に働いていたトラック運転手たちがSNSで不満の声を漏らしていた。
|アルバム制作不可能になった大物歌手
この独立記念日のデモの中心人物の一人に、有名歌手セルジオ・へイスの姿があった。
彼は60年代、ボサノヴァの後に現れたプロテストソングのムーブメントとは対照的なジョーベン・グアルダという一派から音楽界に登場し、70年代からはブラジルの内陸の音楽であるムジカ・カイピーラから派生したセルタネージョの歌手として人気を博した。
のちに下院議員を勤めた時期もあり、ボウソナロ大統領の支持者でもある。
そんなセルジオが大統領派のデモ参加者に向けた音声メッセージとビデオが流出し、民主主義に反する発言をしたことがニュースになった。以下が発言の一部訳である。
「印刷付電子投票の可決と最高裁の判事を首を要求する。もし72時間以内に要求に従わないのなら、もう72時間与えよう。その代わり、我々は国をストップさせる。準備万端だ。」
「もし30日以内に例の判事らを首にしなければ、(最高裁に)侵入し、全てを破壊し力ずくで出させる。」
「誰一人として外を歩けないようにする。もちろんトラックも走行禁止、フェイジョン(ブラジルの国民食である豆)も街に届かなくなるだろう。」
実は、セルジオは音楽家兼プロデューサーの息子と共に、ゲスト歌手を招いた新アルバムの制作中であったのだが、このニュースが明らかになった後に、参加予定だった歌手たちがレコーディングをキャンセルする事態となった。
歌手たちはセルジオに対する敬意を表した上で、「レコーディングする予定だった曲の歌詞とセルジオの発言、思考が一致していない。」「現在の彼の姿勢と自分の思想が合わない。」とコメントしている。
唯一、セルジオに大変お世話になったというパウラ・フェルナンデスだけが音楽面だけを考慮した上で参加を取り下げないことを発表。
参加予定だった6人の歌手のうち5人の辞退で、息子マルコは「もうこのアルバムは存在しないものとなった。」と長年温めていたプロジェクトを断念するとインタビューで答えた。
この騒動でセルジオは非難を浴び、中には"元"ファンがセルジオのレコードを燃やす様子を映した痛々しいビデオがインターネット上に投稿された。
セルジオ本人は「間違いだった。」「捕まっても構わない。」と謝罪したが、酷く落ち込み鬱状態と診断され、入院する事態に陥った。
セルジオ・へイス、右でヴィオラ・カイピーラ(セルタネージョでよく使われるブラジルのギター)を弾いているのが息子のマルコ
|大統領派と反大統領派で分裂する音楽界
セルジオ・へイスの発言は、彼の音楽人生を一瞬で崩壊させてしまった。
確かに今回の発言はかなり衝撃的なものだったと思えるが、最近音楽業界も大統領派と反大統領派がはっきりと見えるようになってきていると感じる。
反ボウソナロを表すハッシュタグ#forabolsonaroは有名ミュージシャンの間でも頻繁に使われており、大々的にそれを発している世界的にも有名なミュージシャンはミルトン・ナシメント、カエターノ・ヴェローゾ、シコ・ブアルキ、イヴァン・リンスあたりだろう。前政権で文化大臣を務めたジルベルト・ジルも含まれる。
大統領とTwitter上で攻撃しあったこともあるのはサンバとヒップホップを融合させて2000年代初めに有名になったマルセロ D2( D2はデードイスと読む)、若い世代に人気のアーティストではアニッタ、パブロ・ヴィタール、ジュリエッチらがパンデミック中の大統領の行動をSNSで否定している。
大御所のジャヴァンに関しては一時大統領に好意的なコメントをしたために"ボウソナリスタ"(大統領派の呼称)とメディアに伝えられファンからバッシングを受け、数年経った今年6月、自身のInstagramアカウントにて「私はボウソナリスタではない。」、続いて「私は2018年の大統領選挙でボウソナロに投票していない。」と発表し、計3万件以上のコメントが投稿されている。
もちろん、全てのミュージシャンがアンチ・ボウソナロではない。
セルジオ・へイスのアルバム騒動が起こった際、「セルジオ、あなたは一人じゃない!」と、録音に参加したいとビデオで表明した歌手ゼゼー・ジ・カマルゴやグスターヴォ・リマは大統領を支持している。
私の所感だが、アーティストは左派が多く、2018年の大統領選挙前はピリピリしたムードが漂っていた。
結果、これまでの労働党の汚職にうんざりしていた人々の票も流れてボウソナロ氏が当選したのだが、その時点で左派のボウソナロ下ろしは始まっており、パンデミックで更に強くなっていった。
正直、異なるイデオロギーをもつアーティスト同士は同じ部屋にいれない程、政治の話は生活に入り込んでいる。
実際に私がビッグバンドのリハーサルをしている時も、事あるごとに大統領批判を始める人がいた。そのため、ボウソナロ支持を隠しているミュージシャンもいる。
ブラジルの人々が日頃から政治に関して積極的に意見を交換することは、政治の話はタブーというような環境で育った私にとって刺激的だった。 私自身もブラジルに来てから政治について調べるようになり、平和ボケから脱出して自分の考えを持てるようになったことは良いことだ。
しかし、それが音楽の世界にも強く反映していることにはまだ慣れず、疑問に思うことも多い。
音楽家という職業は、プロフェッショナルでありながらも表現するのは人間。やはり人として分かり合えないと、納得できる作品を生み出すのは難しいのだろう。
来年の大統領選挙に向けて、この溝は更に深まっていくのではと感じている。
【今日の1曲】
シコ・ブアルキとジルベルト・ジルの共作「Cálice」は、1973年に作曲されたが軍事政権下の検問により歌うことが禁止されていた。
先日、ミルトン・ナシメントは自身のInstagramアカウントにてこの曲をアカペラ披露し、今年のブラジルの独立記念日を祝った。ハッシュタグには#forabolsonaroが付けられている。(動画は1986年、軍事政権が終わった後に晴れて歌うことができた際のテレビ番組)
著者プロフィール
- 島田愛加
音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。
Webサイト:https://lit.link/aikashimada
Twitter: @aika_shimada