シアトル発 マインドフルネス・ライフ
東日本大震災と新型コロナ (前半)
朝夕の空気がだんだん冷たくなり、シアトルの短い夏も、終わりに近づいてきたのを感じます。
シアトルに移住したのは、2011年の東日本大震災がきっかけでした。
震災をきっかけに人生が変わったという人は大勢いますが、私にとっても、またシアトルに移住するという決断は大きなものでした。
東京で2人の子どもを育てながら、新築の家も購入したばかり、仕事もプライベートも充実した生活を送っていただけに、「なぜこんなことが起きてしまったの?」と答えの出ない問いを頭のなかで繰り返し、震災関連のニュースばかり見て、いつまでも不安感や悔しいという思いから抜け出せませんでした。
数年経ってようやく、地震で家族や友達を失った人達、トラウマで苦しんでいる人達のために何か役に立ちたいと思うようになり、メンタルヘルスカウンセラーになろうと決心しました。
そこに至るまでには、いろんな悩みや葛藤がありました。アメリカではメンタルヘルスカウンセラーの資格は州ごとに決められていて、ワシントン州でカウンセラーになるためには、認定の大学院を修了し、インターンシップ、国家試験、そして総合3000時間カウンセラーとして働いたという証明が必要になります。
これは、私にとっては大きなハードルです。本当に私にできるのか、勉強と子育てと両立できるか、学費やスケジュールの問題など、いろいろ不安も出てきて悩みました。でも、とにかくやってみないと分からないし、やるだけやろうと思って思い切ってこの世界に飛び込んだのが6年前。
ちなみに、メンタルヘルスカウンセラー(サイコセラピストとも言います)とは、日本では臨床心理士にあたり、アメリカではメンタルヘルスカウンセラー、ファミリーセラピスト、ソーシャルワーカーと資格が分かれています。専門分野も大学院での授業内容も違うのですが、現場では同じようにセラピーを提供しているので、セラピストを探すときには、その人のライセンスが何か、また専門分野が何かを知ることが大事です。
大学院での2年間は、今から考えると、私にとってセルフ・ヒーリングの期間でした。
とくに、授業で、グリーフ(悲嘆)・ケアのことを学んだとき、はっとしました。「震災の体験は、私も含めた日本人や日本という共同体全体にとっての喪失体験なのでは?」と思ったのです。
精神科医のキューブラー=ロスは、人間が喪失を体験したときには、おおまかに5つのプロセスを経て、自らを取り戻して立ち直っていくという「喪失の5段階」を提唱しました。そして、私も、気づかないうちに、これらのプロセスを経ていたことに気づきました。
1. 否認
大勢の死者や行方不明者、被害が出て、放射能汚染が起きたことを認めたくない。
感情が麻痺したような放心状態。
2. 怒り
麻痺していた感情が徐々に戻ってくる。
地震が起きたことや、政府の対応、日常が変わってしまったことへの怒り。
3. 取引
「もし、地震が起きていなかったら、楽しかった生活を続けられたのでは?」
「移住のほかにいい方法があったかもしれない」などと考える。
4. 抑うつ
どうあがいても、失った日常は戻ってこないと気づく。
悔しくて悲しくて、涙が止まらない日々が続く。
5. 受容
喪失を受け入れ、新しい日常とともに生きていくことに意味を見出す。
自分に何かできないかと考え動き出す。
この喪失から自らを取り戻して立ち直っていくプロセスは、かならずしも順番通りにいくとは限りませんし、すべてのプロセスを通過するとは限りません。何年も何十年もかかる場合もあるでしょう。
後半へつづく
著者プロフィール
- 長野弘子
米ワシントン州認定メンタルヘルスカウンセラー。NYと東京をベースに、15年間ジャーナリストとして多数の雑誌に記事を寄稿。2011年の東日本大震災をきっかけにシアトルに移住。自然災害や事故などでトラウマを抱える人々をサポートするためノースウェスト大学院でカウンセリング心理学を専攻。現地の大手セラピーエージェンシーで5年間働いたのちに独立し、さまざまな心の問題を抱える人々にセラピーを提供している。悩みを抱えている人、生きづらさを感じている人はお気軽にご相談を。