NYで生きる!ワーキングマザーの視点
マウントサイナイ医科大学で神経科学を研究そしてシングル・ファーザーの石川さん
現在マウントサイナイ医科大学で神経科学の研究を続けている石川真砂(いしかわまさご)さんは、研究者であると同時にシングルファーザーでもある。アメリカの医学界の第一線で働きながら、どうやって家事もこなしているのか気になる。今回は、研究の内容よりも、まさごさんという人物にフォーカスしてインタビューさせていただいた。
──研究は研究室でないとできないのでしょうから、まだマンハッタンのオフィスにもビジネスマンのほとんどが、もどっていないというロックダウンの状況でどのように働いていらっしゃるんでしょう。
ロックダウンの間、1ヶ月半くらいは研究室へ行かなかったこともありましたが、リモートではできない仕事なのでその後は毎日通勤しています。。神経科学の部署にいて、動物をつかった基礎研究をしています。
──脳神経とかを研究するならば、サルを使うというイメージなのですが。
サルは使ってないです。NYのサブウェイから連れてきたネズミを・・・っていうのは、冗談で(笑)。ブリーダーからマウス・ラットを購入しています。動物愛護の方にも配慮をする必要がありますから、大学の倫理委員から動物使用の許可を得ています。
──なぜアメリカの医大で働くことになったのですか?
日本では、もともと製薬会社につとめていましたが、外資にその会社の株を買われてしまって、研究所に120人くらいいたのですが、半分にカットされてしまいました。そこに残ることはできたのですが、先が見えなくなったこともあって。
妻が、ハワイ出身の日系アメリカ人だったこともあり、脱サラして2007年にアメリカへ移ってきたんです。
──奥様が日系アメリカ人だったというところで、どうやって出会ったのか気になりますね。アメリカへ最初に来たのはどちらの地域だったんですか?
日本で修士課程の学生だったときに、僕の学んでいた主任教授がシカゴ近郊に留学していたんです。遊びにきてみるかって誘われたので、夏休みに遊びに来ました。それが、はじめての海外でした。
アメリカに来てみて、第一に土地が広いし、人がとてもおおらかでフレンドリーで、何もかもが新鮮でした。こちらへ来て働きたいって思うようになりました。大学を出てからは、親にこれ以上迷惑を掛ける訳にもいかず働き始めたのですが、会社で海外留学制度があったので、すぐに名乗りをあげました。
──では、その時、奥様に出会ったのですか?
31歳の時に1年3ヶ月間、ワシントン州立大学の薬学部に研究留学をしました。そこで薬学部の学生だった女性が、妻と同じマウイ出身の同級生だったんです。その女性も日系人だったので、日本から来てるんだよって話していたら、彼女の友達が日本で働いているよって話になりました。
妻は、日系人だからか日本に興味があって、日本にある英会話の学校で働いていました。それで、たまたま妻がシアトルに来ていたときに初めて会い、1月後、僕が日本へ帰ってから付き合いがはじまりました。20年程前なので、今みたいにスマートフォーンとかテキストメッセージとかなかったから、電話で話していました。
日本へ戻ったら、留学後3年は会社を辞めないという契約だったので、職場へもどりました。留学している間は、修士号だけで博士号をまだもっていなかったため、とても悔しい思いをしました。アメリカはご存知のとおり学歴社会なので・・・。働きながらパートタイムで学校にも通って、4年かけて、博士号をとりました。
──どうやって働きながら学校へ通ってたんですか?
研究室に所属させてもらって土曜や日曜日に行って、神経科学の研究を続けたんです。
──移住を夢見ていたアメリカへ実際に住みはじめたのは、いつ頃ですか?
実際に住みはじめたのは、40歳手前でしたね。脱サラして、2007年にアメリカへ来ました。たまたま同じワシントン州立大学の獣医学部で博士研究員を始めました。
──ニューヨークへ来られたきっかけは?マウントサイナイ医科大学で研究しているってスゴイですよね。
いえいえ、コロンビア大学、コーネル大学、ニューヨーク大学の医学部のほうが、もっとスゴイので・・・。それでも、今の職場の上司であるポール・ケニー教授は神経学科の学科長で、世界的にも有名な人なので、普通だったら入れないのですが。
ワシントン州で博士研究員をしていた時に一緒だった大学院生が、今の研究室で働いていたのがきっかけでケニー教授に紹介してくれたんです。ケニー教授は、もともとフロリダに研究室をもっていたのですが、ニューヨークへ移ることになって、紹介者がニューヨークへ移住できないということで推薦してくれたのです。
その頃ピッツバーグにいましたが、妻が他界したこと、また地方の中規模都市ですので差別的な扱いを受けるようなこともあり、新しい街でチャレンジしてみようかなっていうのもありました。推薦のおかげか、面接もなしで採用されました。
──奥様が亡くなられてお辛いときに、よく決心しましたね。娘さんお二人をつれて日本に帰ることは考えなかったのですか?
薬剤師の資格もあるので、日本でも仕事はできるのですが、なんかここで帰ったら負けかもと思ったりして、意地もありました。
後編では、実際に真砂さんが研究されている薬物依存に関する内容やシングルファーザーとしての奮闘ぶりについてのお話に続きます。
【プロフィール】
石川真砂(いしかわまさご)
1992年、昭和薬科大学、修士課程修了。1992年より2006年までエスエス製薬、中央研究所勤務。2000年4月から翌年7月までワシントン州立大学、薬学部にて客員研究員となる。2006年、昭和薬科大学にて博士号(薬学)取得。2007年より2012年まで、ワシントン州立大学、獣医学部にて博士研究員を経てリサーチ助教授として勤務。2012年からピッツバーグ大学で研究員として勤務後、2014年より助教授としてマウントサイナイ医科大学に所属。2021年1月より現在、マウントサイナイ医科大学、神経科学科の准教授として研究を続ける。
著者プロフィール
- ベイリー弘恵
NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。
NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com