安倍元首相の国葬は感動的で成功──だからこそ危険な「歴史修正」だった
YUSUKE HARADAーNURPHOTO/GETTY IMAGES
<歴史に残るのは奇麗で元首相の良い部分を強調した映像となる。過半数が反対したことや安倍政権の暗い部分がどう残るか考えることが今後は重要だ>
安倍晋三元首相の国葬は、直前にはあらゆる世論調査で過半数が「反対」だった。にもかかわらず、閣議決定に基づいて9月27日に実施された。ラジオ・フランスの特派員として、私も取材のため日本武道館へ行った。開始時刻である午後2時の3時間前にマスコミ専用バスで向かったが、到着したときには、会場はまだ準備中だった。私はラジオのニュースのための録音や編集をしながら、次々と来場する参列者を見ていた。
一番初めに来たのは「地方団体」の人々。開始直前に外国からの参列者が来場した。プライベートな葬儀は7月12日に済んでいるので、ひつぎではなく遺骨が会場に運ばれた。外国人参列者の感想を聞くことができなかったので彼らがどう思ったかは分からないが、私は個人的に文化の違いもあって、遺骨を弔う葬儀には違和感を覚えた。
安倍元首相の実績を紹介する動画、岸田文雄首相の弔辞や友人代表・菅義偉前首相の弔辞も特筆すべきところはなく、故人の「良い」面だけを語る映像と言葉だった。
比較的短い時間で、予定どおり済んだので、外国人参列者からは日本らしくていいと評価されただろう。その点、岸田首相をはじめ、日本政府は「国葬をやってよかった」と思うはずだ。いわゆる「弔問外交」も彼らからすると成功した。
でも、フランスのニコラ・サルコジ元大統領と岸田首相との会談は無意味だったと思う。サルコジに政治的役割は全くなく、エマニュエル・マクロン大統領との関係が良いから派遣されただけ。フランスで昨年、汚職などで複数の有罪判決を受けたサルコジはマスコミに会うことも避けた。
「式」としては感動的なところもあって成功
冷静に考えれば、「国葬」ではなく「お別れ会」や「追悼式」だったら、国民もこれほど反対しなかった可能性が高い。国葬だったことで、危険な事例になったと私は思う。事前の反対運動は別にして、感動的なところもあって、「式」としては割と成功したからこそ危険だ。
日本のテレビ局が放送した奇麗な映像は歴史に残る。式の様子は海外でも報道され、安倍元首相のイメージにマイナスにはならなかった。
日本の国葬反対派の意見は、必ずしも海外で納得されたわけではない。例えば日本にいる一部の外国人記者は、多くの人が参加したデモが何度も行われたことを批判した。「あのような銃撃で亡くなった政治家をきちんと追悼すべき」といった考え方もある。いくらスキャンダルや疑惑があったとしても、安倍元首相は「日本にとって重要な役割を果たした政治家」という評価のほうが世界では残る。