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Qアノンは数百万人のユーザーによる「代替現実ゲーム」だった
QAnonのルーツ
2017年秋、インターネット上で規制されていない数少ないフォーラムの1つである「4chan」上に、ユーザーである「Q 」からの断片的な一連のメッセージからQAnon は始まった。
QAnonに、1990年代半ば、イタリアのボローニャを中心に活動していた「ルーサー・ブリセット(Luther Blissett)」と集団で名乗る数百人の匿名左翼作家グループによる、悪戯を情報操作し、既存メディアを撹乱させる手法からの影響があることは、2018年以降、米国のオンラインメディアであるBuzzFeedをはじめ、複数のメディアが報じてきた。
QAnon神話の確かなルーツは、1999年に出版され、匿名作家集団ルーサー・ブリセット・プロジェクト(LBP)のメンバーが共同執筆したイタリアの小説『Q』にたどり着く。小説『Q』は、日本語への翻訳を含め、30カ国以上で出版され、欧州の宗教改革時代を舞台に、「Q」の名で偽情報や陰謀メッセージを広め、時の最高の政治権力と機密情報にアクセスできると主張する秘密工作員の物語だった。
小説の「Q」は、ドイツの神学者マルティン・ルターが、「95か条の論題」をヴィッテンベルク大聖堂の扉に貼りだした1517年から、30年間の宗教戦争を終わらせた「アウクスブルクの和議」(1555年)の間に暗躍した。この小説は、多くの破壊的な異端者と教皇主義者との長い対決について語っている。Qは、聖書の名前Qohelet(ヘブライ語で「収集者」)と署名された手紙を送ることによって、虚偽の情報を広めたのだ。
これは、ホワイトハウスの内部事情に精通しているとされる「QAnon」のQの立ち位置と驚くほど類似している。小説の中でのQは、貴族や司教を永久に追放するというプロテスタントの農民戦士たちを扇動して、テューリンゲンでの戦いに臨むが、これはQが仕掛けた罠でもあった。史実では、この戦いで5千人の農民が虐殺された。民主党のリベラルエリートを追放しようとしたQAnonのQが、深層国家との戦いに多くの抗議者を巻き込んだことと重なっていく。
代替現実ゲームとしてのQAnon
QAnonこそ、実は世界を舞台にしたスカベンジャー・ハント(宝探しや謎解きゲーム)であり、「代替現実ゲーム:Alternate Reality Game」(ARG)であると、イタリアのLBPの元メンバーで、ボローニャの作家集団「ウー・ミン(Wu Ming)」のメンバーあるウー・ミン1こと、ロベルト・ブイ(Roberto Bui )が彼らのウェブサイトで指摘した。
ウー・ミンとはLBPの別名で、ウー・ミンは中国語で「無名」を意味する。ウー・ミン1は、LBPの初期のアイデアや活動手法を、QAnonが巧妙に盗用していると強調した。
ARGとは、コンピュータゲームとグループ・アドベンチャーの中間のジャンルで、1990年代から専門のゲーム産業も存在している。ARGにはパズルや謎が含まれており、プレイヤーはゲーム外にある情報を見つけては、他のプレイヤーと共有することで謎を解決していく。ARGにおけるゲームのプロットは、プレイヤーの日常生活の上に別の現実を構築することで機能する。
ロンドンのゲーム会社Six to StartのCEOで、ARGの設計者であるエイドリアン・ハンは、昨年8月、ニューヨーク・タイムズ誌のインタビュー記事の中で次のように語っていた。「ビデオゲームとは異なり、代替現実ゲームはコンピュータのコンソールでは実行されません。ストーリーテリング・プラットフォームとして<世界>を使用します。特定の媒体はなく、物語はリアルタイムで起こり、世界に偏在しています。そのため、ゲームデザイナーは、ウェブサイト、アプリ、さらには新聞広告などに手がかりやパズルを隠します。それはあなたの周りの世界をゲームに変える、ネットワーク化された宝探しのようなものです」
ポール・マッカートニー死亡説とARG
ARGとして機能していた陰謀神話の初期の例は、1969年、「ポールは死んだ」として出現した都市伝説である。ビートルズのポール・マッカートニーはその3年前の1966年に交通事故で死亡し、影武者と入れ替わったという物語だ。
1969年9月、アメリカの大学生が、ビートルズの楽曲中の歌詞やアルバムの図像の中に、ポール・マッカートニーが死んでいる( Paul is dead )ことを示す証拠が多数あると主張する新聞記事を書いた。以後、熱狂的な証拠探しがはじまり、数週間のうちにこの噂は国際的な現象となった。彼らはマッカートニーの死に関する秘密のメッセージを解読していく。それはまさにARGとなり、世界中に分散化し、自己組織化されたゲームとなったのである。
1969年11月の「ライフ」誌にポール本人のインタビューが掲載されて以降、勢いは衰えたが、こうしたサブカルチャーは今でも存在し、2000年代以降、インターネットを通じて「フェイクニュース」の隆盛を経験している。
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