怠けているように見える生活保護受給者は「虐待サバイバー」かもしれない
現在は必要に応じて最長で22歳になる年度末まで措置延長できる場合があるものの、彼が入所していた当時は、前述したとおり施設にいられるのは原則として18歳まで。以後は退所しなければならなかったわけである。
退所の期限は近づいた。施設側の提案はこうだった。
「生活保護の力を借りて、生きていきなさい」
こうして、彼は児童養護施設の職員に伴われて生活保護の申請に訪れた。
その申請の際に彼はこう言ったという。
「どう生きればいいのか、わからない」(33~34ページより)
問題はここだ。つまり彼には、親から生き方を教わった経験がないのだ。したがって、そのまま施設を出るということは、丸裸のまま放り出されるようなものだったともいえる。
はたから見れば彼の姿勢は、自分の人生を能動的に考えていこうという意思を持たないようにも映るかもしれない。本人は純粋に「わからない」だけなのだが、「やる気がない」「怠けている」という誤解を受けやすいわけだ。
なお、本書で紹介されている他の事例についてもいえることだが、こうした被虐待児たちには共通点があることを著者は指摘している。
子が親に頼らない、頼れない
親が子の窮状に無関心で、共感がない(35ページより)
この国の福祉制度が彼らをさらに追い詰めている
なかには、自分の子を"積極的に攻撃"する親もいたようだ。しかしそんな親には、そうすることによって自分の子がどんな気持ちになるのかという視点がないという。にわかには信じがたい話だが、本書を読み進めていけば、読者はいやでもそのことを実感しなければならなくなるだろう。
それくらい、常識でくくることのできない親が存在するということだ。そして、親がそうである以上、子どもはなんらの虐待から逃れることができなくなるのは当然だ。
彼らの家族の影は薄いか、気配をまったく感じさせない。
それに付随するように周囲にも人がいない。実際にはいたとしても、危急が差し迫っても頼ろうとせず、彼らは、まるで人や社会を避けているかのようである。
虐待を受けてきた彼らの自己主張は弱く、受身的だった。人と関わり、社会のなかで適応していくことに心理的な困難を抱えているようだった。(36ページより)
だとすれば私たちは、「あの子は意欲に欠けるよね」という具合に彼らを否定することはできるだろうか? そうやって片づけてしまっていいのだろうか?