「大地に広がる観測網?」メキシコの遺跡に通じる道は、巨大な天体観測装置だった 農業専門家が発見
メキシコのトラロック山の古代土手道の壁の間から昇る太陽 (Ben Fiscella Meissner)
<高度な農業システムを維持した、アステカ文明。その正確な農業暦を支えたのは、太陽の動きを追う大規模な観測網だったようだ>
メキシコ中部に位置する首都・メキシコシティ。かつてこの盆地に栄えたアステカ文明のメキシカ人たちは、都市全体に広がる秘密の天体観測網を持っていたようだ。
1519年に征服者に襲われるまで、この地域は100万から300万の人口を擁していたと言われる。高い人口密度を維持できるだけの、傑出した農業システムが存在したはずだ。しかしこれまで、正確な農業暦をどのように管理していたかは謎に包まれていた。
たとえば夏場のモンスーンは恵みの雨を降らせるが、雨期に入ったかどうかを見分けるには慎重な判断が求められる。仮に、ちょっとした雨天続きに惑わされて作物の植え付けを済ませてしまえば、その後の日照りにより作物が全滅してしまうリスクがある。
ヨーロッパで発達していたような観測用器具をメキシコの人々は持たなかったが、不作による集落の全滅といった危機は発生してこなかった。このことから、なんらかの手段でカレンダーのように正確な日付を把握していたと考えられる。
そこで、カリフォルニア大学リバーサイド校のエセキエル・エスクラ栄誉教授らのチームが調査を行ったところ、盆地から見て東部に位置するトラロク山に、とある仕掛けが施されていることが判明した。研究成果が論文にまとめられ、12月12日付で米国科学アカデミー紀要に掲載されている。
身近なトラロク山に残されていた、古代の観測所
トラロク山はメキシコシティから比較的近く、現在ではハイキングやバイクなど、アウトドアを気軽に楽しめるスポットとして親しまれている。その斜面の一角に、古代の建物の基礎部分が残存している。
この建物には、その壁面に対して直角とは言えない奇妙な角度で、直線状の長い通路のような遺構が据え付けられている。この通路状の部分は入り口のようだが、それ以外に重要な役割を果たしていたようだ。
エスクラ氏たちが詳細に調査した結果、毎年メシカ歴の正月(グレゴリオ暦の2月23日)になるとこの道に、正面から日の出の光がまばゆく差し込むことが判明した。太陽の位置を正確に捉える観測装置として機能していた模様だ。エスクラ氏は、この日を基準に365日を数えることで、アステカ文明の天文学者たちが正確な日付を把握していた可能性があると指摘している。
もっとも、この装置を使わずに任意の日から365日を数え続けても、カレンダーは維持できる。だが、1年は正確に365日ではなく、1日未満の誤差を含む。365日を繰り返し数えた場合、長い歴史のなかでは実際の地球の公転周期よりも早く日付が進んでしまう。
エスクラ氏は、その修正のためにこのような天体観測装置を設け、誤差を把握していたのではないかと指摘している。