習近平の統治下で「中国は弱体化した」、なぜ続投が可能なのか
XI IS WHAT YOU SEE
「立言」の面ではどうか。第19回共産党大会で打ち出した「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」では、党の指導力の重要性と民族主義を強調したが、それ以外は極めて陳腐な内容にとどまっている。
国に勢いがあるときはそうしたポピュリズム的な主張が共感を得られるのかもしれないが、現在の状況下では空疎に聞こえる。思想を遺すという点では、故・毛沢東に遠く及ばないのが現実だ。
しかし、この3つの基準における成績がお粗末だからといって、習が最高権力者の地位にとどまり続ける道が閉ざされたわけではない。
中国で指導者を評価する際のもう1つの基準によれば、習は大きな成果を上げているように見える。
習は、ウイグル人の「テロリスト」たちを収容所に送り込み、内モンゴルの学校では中国語の教育を強制し、香港を厳しく締め付け、台湾や尖閣諸島に関して強硬姿勢を取り、南シナ海でも多くの人工島を建設した。このような行動は中国の国内では高い評価を受けた。
こうした強硬路線は、特に多数派民族である漢族が理想と見なす「文治・武功」――国内では社会秩序の安定を重視し、対外的には軍事的征服に乗り出す――の考え方に沿っている。
その点では、習は中国史上の歴代皇帝たちも凌駕する。このことは、習が権力闘争を勝ち抜く上で大きな意味を持つだろう。
では、その権力闘争はどのように展開するのか。それを理解するには、なぜ習が3期目を目指すのかを知る必要がある。
党総書記として習の続投は、既定路線とみられてきた。党大会では、指導部の人事案がそのまま追認されるのが通例だ。
核心は国家主席のポストをめぐる争いだ。なぜ習は権力闘争に明け暮れ、憲法を改正してまで、このポストを維持しようとするのか。
反対派にしても、習の3期目就任がなぜそれほど重要な問題なのか。そもそも反対しているのは誰なのか。
国家主席には、行政の実権を握る国務院総理(首相)の任命権がある。ただし、国家主席の権限は、憲法の規定により全人代の決定に基づいて行使されるため、儀礼的な側面が強い。
習体制では中国共産党史上初めて、首相が総書記と対立する派閥に所属している。現首相の李克強(リー・コーチアン)は習とたびたび衝突してきた。
習が今回の党大会で大勝利を収めれば、来春の全人代で国家主席の権限に関する憲法の規約を緩和しつつ3期目続投を果たし、自分の意思で首相を任命するだろう。