母は「見た目は大人・頭脳は子ども」。母親の世話と家事に追われたけれど、私は一人じゃない
障害を持つ父と「小さな子どものような母」
本書では例えば、子どもの頃からお母さんのケアをしてきた女性の事例が紹介されている。2020年3月に大学を卒業し、現在は社会人3年目の24歳だ。
父親と母親との3人家族だが、両親は彼女が産まれたときにはすでに障害を持っていた。父親は彼女が生まれる前年に職場で事故に遭い、左前腕を失った。とはいえ大抵のことは片手でこなすことができ、普段の生活には人の助けを必要としないという。
一方、母は高校通学中に交通事故に遭い、後遺症が残ったため、周りの人のケアを受けなければ生活することが難しくなりました。右半身が麻痺していて動かしにくいため、移動する際には杖か歩行器を使っています。長距離では車いすも使います。
加えて、高次脳機能障害も残りました。高次脳機能障害とは脳が損傷を受けた際に起こる障害全般を指し、人によって様々な症状が現れます。私の母の場合は特に記憶力の障害が目立ち、他にも注意力や判断力、物事を順序良く進める力(遂行機能)も一人で生活するには十分ではなく、まるで小さな子どものように常に見守っていなければなりません。また、私が高校3年生になる頃までアルコール依存症でもありました。(65~66ページより)
どこかに出かけるとしても、何日も前から「いつ出かけるんだっけ?」「明日だよね?」などと聞いてくるものの、当日になると「え、今日出かけるんだっけ?」と言い出すような状態。計画的に行動することも苦手なため、出かける何時間も前から玄関に座って待っていたかと思えば、いざ出かけようとすると「忘れ物した!」「トイレ!」などと騒ぎ出すことも。
もちろん出かけた先でもついて回る必要があり、次から次へと予想外の行動をするので、ようやく家に帰ってくるとヘトヘトの状態。それでも「あれ、今日はなにしに行ったんだっけ?」「夕飯まだー?」と話しかけられたりするそうだ。
私が子どもの頃から、それどころか私が生まれる前から、母はずっと「見た目は大人・頭脳は子ども」の状態です。私は年齢と共に成長して大人になっていきましたが、母は老いはすれども成長することはありません。いつからか、いったい私と母のどちらがお母さんなのかよくわからなくなりました。(68ページより)
幸い、勉強ができた彼女は進学校に進むことができた。が、周囲の同級生を見るにつけ、「同じ教室にいて同じ授業を受けているはずなのに、きっと彼ら彼女らの過ごしている高校生活と私の過ごしている高校生活は別物」だと感じるようになっていった。
目の前にいるのは、お母さんが作ったお弁当を持ってきている子、塾で帰りが遅いと親に迎えに来てもらえる子、お母さんと一緒にライブに行ったと話す音楽が好きな友だち。いっぽう彼女は、アルコール依存症が悪化した母親の世話と、日常の家事に追われた。