母は「見た目は大人・頭脳は子ども」。母親の世話と家事に追われたけれど、私は一人じゃない
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<未成年の子どもが家族のケアをする「ヤングケラー」が、美談であるはずがない>
「ヤングケアラー」という名称を目にする機会が増えてきた。
数年前、知人がこの言葉に対し「すぐに横文字を使いたがる」などと的外れなことをSNSに書いているのを見て、「なんなんだ、この人は?」と呆れたことがあるのだが、少なくともその頃に比べれば認知度は上がったのだろう。
とはいえ、その意味についてはまだまだ知られていない部分が多いのではないか。そこで、まずは『ヤングケアラーってなんだろう』(澁谷智子・著、ちくまプリマー新書)の著者による定義を引用してみたい。
「ヤングケアラー」とは、家族にケアを必要とする人がいるために、本来大人がすると想定されているような家事や家族の世話を行っている18歳未満の子どもや若者を指す言葉です。
ヤングケアラーは、慢性的な病気や障害、精神的な問題、高齢や幼いといった理由で看護や介護や見守りなどを必要とする家族の世話をしています。毎日の食事の用意や後片付け、洗濯、ゴミ出し、買い物、きょうだいの世話。ケアの必要な家族の話を聞いたり、元気づけたりするなどの感情面のケア。中には、病院への付き添い、救急車への同乗、自宅での経管栄養のケア、薬の管理、金銭管理をしている中高生もいます。(「はじめに」より)
この解説を読むだけでも、ヤングケアラーと呼ばれる子たちの負担の大きさは想像できるはずだ。
そもそも"18歳未満の子ども"にとっては、日々の勉強や友だちとの交流、遊びなどが人間形成という点において大きな意味を持つ。言い換えればそうした経験は、社会人として成長するための準備だとも解釈できる。
だが彼らは、本来であれば経験すべきそれらのことが経験できないのだ。しかも著者の指摘にもあるように、未成年の子どもが家族のケアをするという行為は「美談」として消費されてしまう可能性がある。
しかし、それは美談であるはずがない。誰からのサポートも受けられず、自分がヤングケアラーであるという自覚を持たないまま(そういう子は少なくないようだ)年齢不相応の責任や作業を負わされているという現実は、それ自体が「あってはならないこと」。にもかかわらず、それが「ある」から問題なのだ。
子どもは、家族を支えたいと思って自分から家のことをする場合もありますが、他に選択肢がなく、ケアを担わなくてはならない状況に追い込まれることもあります。大人が家の外で仕事をし、家族を経済的に支えている状況では、大人のように働いて稼げない子どもや若者は、家で家事や家族の世話をして貢献することを求められやすい構造にあるのです。経済的なことが優先される感覚はそれぞれの家庭の中にもしっかり根付いていて、大人のように外で稼ぐことができない子どもが必要に応じて「裏方」をするのは「仕方ない」と考える親も多いのでしょう。裏を返せば、日本は子育て世代の大人がそれほど追い込まれている社会であるとも言えます。(36ページより)
しかし、ヤングケアラーが必ずしも「大人が家の外で仕事をしているから、仕方がなく家事を担っている」とは限らず、各人にそれぞれの事情があるのも事実。当然ながら、「こうすれば解決する」というような策があるはずもない。だから問題は複雑なのだ。