医学的な懸念から、政治の道具に変わった「ワクチン懐疑論」の実情
YOU CAN’T MAKE ME
義務化は政府の権限ではない
カイザー家族財団の調査で、ワクチンの接種は「個人の選択」の問題か「他人の健康を守るために必要な社会的な責任の一部」かを尋ねたところ、共和党支持者の70%以上が個人の選択だと答えたという(民主党支持者ではわずか27%)。
また、インターネット上に流布される言説の調査分析を専門とするレニー・ディレスタがツイッターの投稿を分析したところ、コロナ以前にはワクチンの毒性などへの懸念を訴えていたワクチン懐疑論者も、最近は個人の自由や「選ぶ権利」を持ち出す傾向が目立つという。
「従来は立場も主張もさまざまだった人たちが、今はワクチン反対の主張で足並みをそろえ、団結し始めている」と言うのはシアトル小児病院の小児科医ダグラス・オペル。「新型コロナ用ワクチンの開発・認可プロセスの問題が政治化され、ワクチンに対する信頼と予防接種プログラムの持続可能性に悪影響を与えかねない。憂慮すべきことだ」
つい最近まで、ワクチンの接種義務が問題になる場面は自分の子供を保育所や学校に入れるときだけだった。それはほとんど症例はないが(万が一にも)流行したら困る感染症を防ぐための措置であり、比較的議論の余地のないことだった。
児童のワクチン接種は全ての州で義務化されている。ただし6州では医療上の理由で、その他の州では宗教的または「個人的な」信念を理由とする免除が認められている。
コロナ以前の予防接種反対派には、薬害批判のリベラルな懐疑派も含まれていた。しかしその主張の多くは、既に医学的に誤りと証明されている。また2000年に根絶宣言が出された麻疹(はしか)の流行がその後にあったが、予防接種のおかげで患者は何十人、何百人という単位で済んだ。
それでも疫学者たちは今、ワクチン接種の義務化に反対する保守派の論調に懸念を強めている。政治と公衆衛生の関係に詳しいコロンビア大学の歴史学者デビッド・ロズナーに言わせると、彼らは副反応などの医学的な問題には目を向けず、もっぱら「何であれ強制はいけない」という政治的な主張を押し立てている。
「このままだとワクチン全体への抵抗につながりかねない。さらに社会的な義務、社会の一体性といった概念の崩壊をもたらす可能性もある」と彼は警告する。「それは国家とは何かという問題にも通ずる。これだけ多くの国民が死亡しているのに、国論が一致せず、協力を拒む人がいる。これはアメリカ社会の大きな分断の始まりではないか」