なぜ中台の緊張はここまで強まったのか? 台湾情勢を歴史で読み解く
TAIWAN, WHERE HISTORY IS POLITICAL
台湾側の公表資料によれば、中間線は、北緯27度東経122度を北限として、北緯23度東経118度を南限とし、まさに海峡の真ん中に引かれた一本の線であり、冷戦下での中台関係の固定化の象徴であり、朝鮮半島の38度線の中台関係版である。
海に守られた蒋介石・蒋経国親子の台湾統治は、1949年を起点とすれば蒋経国の死の1988年までおよそ40年間にわたった。
ある意味で、国民党もよく踏ん張った。大陸で蒋介石を悩ませた党派対立を清算。一旦は崩壊した国軍も、日本人軍事顧問団「白団」や米軍顧問団の支援を受けながら全面的に立て直し、質的には人民解放軍をしのぐ近代軍に仕立て直した。
経済建設にも1970年以降は力を入れ、輸出志向型で小回りの利く産業構造をつくり上げた。新興工業経済地域(NIES)の一翼として高い経済成長を成し遂げた。権威主義体制下の政府関与のもと工業化を成し遂げた台湾モデルは、世界から注目を受けることになった。
一方で、世界最長となる戒厳令を敷き、反共を口実に多くの無実の人々を投獄・処刑する白色テロの恐怖政治で台湾社会をコントロール下に置いて、米国政府もその蛮行を黙認した。反共の協力者・蒋介石が必要だったからだ。
過酷な統治が、台湾社会から恨みの目を向けられる国民党の「原罪」となって、今日、党勢を弱める一因になっている。歴史評価として、蒋家の統治をどう位置付けるか、極めて難しい問題だ。
仮定の話にはなるが、国民党がいなければ、台湾は共産化され、中華人民共和国の一部になり、チベットや新疆のような自治区扱いか、あるいは福建省の一部、もしくは台湾省として統治されていたかもしれない。戒厳令の下で多少の犠牲はあっても、共産化よりはましだった、という議論が成り立たないわけではない。一方で、蒋親子の下での民衆への加害は許せないと今も考えている人々が大勢いることも間違いない。
歴代総統への評価は、台湾史の複雑さを物語っている。台湾社会が各種世論調査でほぼ一致して最も高く評価する総統は、李登輝ではなく、蒋経国だ。
蒋経国が執政した1970~80年代は、台湾の高度経済成長期に当たり、いい思い出が多いからだと言われている。それ以前は蒋経国が秘密警察を指揮して弾圧の先頭に立ったことも台湾人は知りつつ、こうした見方をしているのである。
一方、蒋介石の評価は歴代総統の中で常に最下位だ。共産主義から台湾を守った功よりも、過酷な統治で多くの人命を奪った罪を、台湾の人々は記憶しているからだ。