神は6日で世界を造ったとの「真実」を理解する意味...理不尽な世界に対峙する「神学」の力
創世記2章
1)天地万物は完成された。
2)第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
3)この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
教授: 皆さん、2章3節までを読んでどういう感じがしましたか?(略)
カールセン: ぼくは無神論者だから、やっぱり荒唐無稽な話に聞こえちゃうな。いまの科学的な世界観では、神話にしか見えないというか。六日で世界をつくって、七日目に休んだなんてあり得ないよ。
■世界を見る――事実(fact)と真実(truth)を区別する
教授: カールセンさんのような意見もありますね。聖書は数え切れない多数の著者たちによる信仰告白の書である。そのことをまず理解してもらいたいと思います。どういうことか。聖書は著者たちが自分のいちばん深いところにある真実を語っている本だということです。
聖書は単なる大昔のおとぎ話ではありません。「事実(fact)」と「真実(truth)」は区別されるべきであるということをまずは理解してもらいたいのです。聖書の記述は、すべてそのまま「事実」として受け取るべきものではないけれど、聖書は「真実」について語っているのです。
鈴木: 「事実」と「真実」ってどう違うの? 「事実」と「真実」......。私はあんまり、使い分けてないかなぁ。
教授: 「事実」と「真実」の違いを認識することは、聖書を読むうえで大切です。そうですね......。私が思う「事実」は、科学的に証明できる客観的な事柄です。「How(どのように)」という問いへの答えを与えてくれるものです。「真実」は、価値や意味についての答えです。つまり「Why(なぜ)」という問いへの答えを与えてくれるものです。
楊: ちょっとわかりにくいので具体例で説明していただけますか?
教授: そうですね。たとえば美しい秋の空が目の前に広がっているとしましょう。詩人がその美しさを「深く静まり穏やかに眠る湖」と表現したとします。その表現は決して偽りではない。秋の空の深く青く澄み渡っている様子そのものが「事実」だとしたら、それは科学的に証明できる事柄です。それに対して「真実」とは、秋の空を見たときにその人の心に感動が広がった、あるいは、その美しさに心を打たれたことなどを表す表現です。「真実」とはそのできごとが何らかの意義や価値、あるいは深さを有し、受け取る側に感銘や影響を与える。そういった事柄だと思います。この世にはそういったもの、あるいは次元があるのではないでしょうか。「事実」から独立した、そうした「真実」の世界がありませんか?