まるで敗戦直後の日本軍を奪い合う中共軍──米大使館存続望むタリバン
その中で最も注目すべきは、1945年9月末に中共軍に捕捉された関東軍第2航空軍・第101教育飛行団・第4練成飛行隊300余名と軍用機数十機だ。
東北民主聯軍総部(中共側)の林彪(りんぴょう)や彭真(ほうしん)は、第4練成飛行隊の隊長だった林弥一郎(少佐)と直接交渉し、中共軍の航空学校創設のために協力してほしいと頭を下げた。
というのも、当時中共中央は航空学校も飛行場も持っていなかったからだ。毛沢東は9月に入ると東北民主聯軍総部に航空学校の創立を急ぐよう指令を出した。しかし教官となるべき人材がいない。そこで目をつけたのが元日本軍航空関係者だったのである。
元関東軍として当時遼寧省にいた林隊長らはシベリヤ送りを逃れ、「捕虜」としてでなく「教官」としての扱いをするのであればということなどを条件に、中共側の申し入れを受け入れた。こうして1946年3月1日に、中共の「東北民主聯軍航空学校」が誕生した。中共側の空軍学校第一号だ(詳細は拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』)。
中華人民共和国誕生後の1949年末には、さらに6ヵ所の航空学校が開校され、こんにちの中国の空軍の基礎を形成している。
タリバンの動きは1940年代の毛沢東が率いていた中共軍の状況によく似ている。
中国大使館が居座り続けることへの危惧
いまアフガニスタンには中国大使館やロシア大使館を始め、いくつかのイスラム系諸国の大使館が残っている。トルコ大使館も空港に遷していたが、元の場所に戻そうとしているという噂が、英文のSNSなどで流れている。
となると、ひょっとしたら、アメリカは大使館を存続させるかもしれない。
タリバンは、いかなる国の軍隊も残らないでほしいと望む一方で、できるだけ多くの大使館が存続してほしいと強く望んでいる。国家として承認してほしいからだろう。
アメリカはこのたびも、アフガニスタンとパキスタンとの国境地帯から無人機を飛ばしてテロ組織の主犯を殺害したようだ。タリバンが「テロの主犯が誰で、どこにいるか」という詳細情報をアメリカに渡したのだろう。そうでなければ、あれほど短時間に正確に一個人を絞って殺害できるはずがない。
バイデン大統領は「何としてもテロの犯人に償わせてやる!」と強気だが、アメリカの最後の名誉を保つためにもタリバンとの協力が必要だという、とんでもないところに追い詰められていることだろう。あの強気の発言の裏には、水面下におけるタリバンとの連携があるにちがいない。バイデン退陣への声が高まる中で、タリバンと協力してテロ撲滅に動くことは、バイデンにとっても、案外に悪い選択ではないのかもしれない。