メルケル後のドイツを揺るがす「極右に熱狂する」旧東独の反乱
Still Divided After 30 Years
東の住民が不満を抱く理由は十二分にある。この地域は経済的に西ほど恵まれておらず、賃金水準は低く、失業率は高い。地域の産業の多くは旧西独または外国の企業に支配されているし、この間にもっと人件費の安い外国へ出て行った企業も多い。
そして現首相のメルケルこそ旧東独育ちだが、全体として見れば経済界でも政界でもメディアでも、東の出身者がトップに立っている例はあまりに少ない。
加えて、15年から16年にかけての難民の流入がAfDのような極右政党を勢いづかせた。ドイツ東部にやって来た難民はごくわずかだったが、「やっと立て直した生活を再び失うかもしれないという大きな不安が住民の間に広まった。そして彼らの多くがAfDに投票した。そんな事態は絶対に防ぐとAfDが約束したからだ」と、南ドイツ新聞のガンメリンは言う。
AfDは住民の恐怖心に付け込む一方、彼らが30年前の熱気に対して抱く郷愁も利用している。東部5州のうち3州で地方選挙があった19年、AfDは「革命を完成させよう」と呼び掛け、選挙ポスターで「われらこそ人民」だと宣言した。後者は30年前に決起した旧東ドイツ民主派のスローガンだった。
今春のザクセン・アンハルト州デッサウ・ロスラウでの選挙運動でも同じ手が使われた。AfD幹部らは町の広場に集まった100人ほどの聴衆に、AfDは個人の権利を擁護する唯一の党であり、1989年の民主化闘争の志を継ぐ政党だと言い切った。
「東の人は現実を直視している」
「一緒に歴史を書こう」。AfDの連邦議員アンドレアス・ムロセックはそう叫んだ。「いつか子や孫に『私は本物の政治的変化に手を貸したんだ』と誇れるぞ」。今年の地方選と秋の総選挙でAfDは「市民の自由とドイツの民主主義を守る!」と大見えを切った議員もいる。
もっとクールな見方をするのは、元連邦議員で女性のアンチュ・ヘルメナウ。以前は緑の党に属していたが、15年に離党した。彼女に言わせれば「東の人は現実を直視しているが、西の人は夢を見ている」。だから投票行動に差が出るのは当然だ(ちなみに彼女は、緑の党も現実を見ていないと批判する)。
ヘルメナウによると、東のドイツ人は今も、感覚的には(西欧ではなく)東欧の一部だ。ベルリンの壁が崩壊してから暮らしは一変し、みんな大変な思いをしてきた。だから自分たちの今の暮らしを守りたいという意識が強く、権力者やメディアの言うことは信用しない。