ナイジェリアの分離独立「ビアフラ闘争」、内戦から半世紀を経ても未だ終わらず
Biafra’s Pain Is Still Fresh
海外でも、カヌの支持者たちは欧米各国のナイジェリア大使館や領事館の前で抗議行動を繰り広げた。カヌは裁判なしで18カ月以上も勾留された揚げ句、2017年4月に厳しい行動制限付きの条件の下で釈放された。しかし抗議行動が収まることはなく、南東部の分離独立を求める声は大きくなるばかりだった。
それでもムハンマド・ブハリ大統領(北部に多いフラニ人の出身でイスラム教徒)の率いる中央政府は住民投票の実施を断固として退け、国家の統一は「交渉の余地なき」大前提であるとし、分離主義者の要求には絶対に屈しないと宣言した。
同年8月、さらに苛酷な運命がビアフラ独立派に降り掛かった。政府軍が「パイソンダンス作戦」と称する掃討戦を開始。活動家の拠点を襲撃し、複数の活動家が殺害される事態となった。南東部ウムアヒアにあるカヌの自宅も治安部隊に襲撃された。IPOBによれば、それは「カヌの暗殺を目的とする計画的な試み」だった。しかしカヌは支援者の手で救出され、2018年10月にイスラエルに姿を現した後、直ちにイギリスへ戻っている。
一方、IPOBは2017年9月に非合法化され、テロ組織と認定された。ただしアメリカは、ビアフラの分離独立を支持しない立場を堅持しつつも、現時点ではIPOBをテロ組織と見なしていない。
IPOBに結集する人たちも、非合法化くらいではひるまない。独立の悲願を達成するまでは一歩も引かない構えだ。
無理もない。あの虐殺から50年、ナイジェリア政府はイボ人の不満に向き合おうとしてこなかった。あの悲惨な過去をオープンに語り合うことができれば互いの心の傷も癒え、和解が進み、国民の結束につながるのではないかと専門家は指摘する。しかし200万を超える犠牲者の名誉はいまだに回復されていないし、補償も一切ないという。
ナイジェリアは、今なお民族と宗教によって分断されている。それが地域による格差を生む。連邦国家といっても南東部は冷遇され、閣僚の割り当ても少ない。民族間・宗教間の緊張は高まる一方だ。2015年にイスラム教徒のブハリが大統領になって以来、軍でも政府でも北部出身者ばかりが優遇されているという。
現政権は和解に関心なし
「全てのイボ人の心に悲しみが刻まれている。南東部の人間なら誰だって(あの内戦で)家族や親戚を失っている」。そう言ったのは、当時オジュク中佐の参謀格だったクリストファー・イジョフォー。「戦時中に飢えて死んだ罪なき子供たちの血は今も報復を求めている」。自らの体験を回想録『ビアフラの生死を懸けた戦い』にまとめた老人は、筆者にこうも言った。「あんな戦い、そもそも起きるべきではなかった」
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