最新記事

日本に迫る医療崩壊

「命の選別」を強いられるアメリカの苦悩

WHO WILL DOCTORS SAVE?

2020年5月1日(金)18時00分
フレッド・グタール(サイエンス担当)

医師に訴訟リスクはないか

大きな不確定要素の1つは、訴訟リスクだ。明確な指針が決められていない場合、患者の治療を拒んだ医師や病院は法的なリスクを背負い込みかねない。「医師の訴訟リスクは小さいという見方が一般的だが、ゼロとは言えない。さまつな問題と片付けるわけにはいかない」と、ハーバード大学法科大学院のグレン・コーエン教授は言う。

人工呼吸器を外すという行為は、法律上の危険をはらんでいる。一般的には、医療資源がない場合に治療を行わなかったとしても、医師は刑事責任を問われない。しかし、患者の同意を得ずに人工呼吸器を外す場合は事情が違う。

「その行為は、形の上では殺人と似ている」と、コーエンは言う。人工呼吸器を外さなくても「患者は死んでいたかもしれないが、それは関係ない。判例によれば、数時間でも患者の寿命を縮めれば、過失致死か殺人に問われる可能性がある」。今のような状況では、こうした行為を理由に検察が医師の罪を問うことはないだろうとコーエンはみるが、検察官次第という面もある。

では、民事裁判はどうか。医師が医療過誤を理由に訴えられる可能性はあるが、陪審員が損害賠償請求を認める可能性は小さいと、コーエンは言う(医師が人工呼吸器を外そうとしたとき、家族が納得できなければ、裁判所に差し止め命令を求めるという選択肢もある)。

アメリカの連邦法は、医療従事者にある程度の免責を認めているが、十分とは言えない。州レベルでも、適切な制度を設けているのはメリーランド州だけだ。各州の州議会は目下の危機の間、医師を一時的に免責する立法を行うべきだと、コーエンは主張する。

そうした州法が成立するまでは、ピッツバーグ大学のホワイトらが作成したような指針に沿って判断した医師を訴追することはしないと、州の検察当局が文書で確約すべきだと、コーエンは言う。「医師が指針を誠実に遵守しつつ行動した場合は、免責されるべきだ」

ハーバード大学のトゥルオグは今のアメリカの状況を見て、10年の大地震後のハイチで目の当たりにした光景を思い出す。病院には重い肺炎の子供たちがいたが、人工呼吸器が足りず、医師たちは難しい選択を突き付けられた。「ハイチの人たちにとってはそれが日常の一部だった」と、トゥルオグは言う。「やむを得ないことに思えた。それ以上はどうすることもできないと、私たちは感じていた」

世界有数の貧しい国であるハイチでは、命の選別が日常的に行われていたのだ。アメリカ人にとっては受け入れ難い現実だろう。だが、そうした選択を迫られる日は刻一刻と迫っている。

<本誌2020年4月28日号「特集:日本に迫る医療崩壊」より転載>

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、年間では2017年以来の大

ワールド

ゼレンスキー氏「ぜい弱な和平合意に署名せず」、新年

ワールド

原油先物、25年は約20%下落 供給過剰巡る懸念で

ワールド

中国、牛肉輸入にセーフガード設定 国内産業保護狙い
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめる「腸を守る」3つの習慣とは?
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    中国軍の挑発に口を閉ざす韓国軍の危うい実態 「沈黙…
  • 5
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 6
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 7
    「すでに気に入っている」...ジョージアの大臣が来日…
  • 8
    「衣装がしょぼすぎ...」ノーラン監督・最新作の予告…
  • 9
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 10
    「サイエンス少年ではなかった」 テニス漬けの学生…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 10
    「衣装がしょぼすぎ...」ノーラン監督・最新作の予告…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中