習近平の武漢入りとWHOのパンデミック宣言
事実、たとえば、山東省の監獄では複数の囚人に感染して、その囚人と濃厚接触があった者を正確に報告しなかったというだけで、山東省司法庁中国共産党委員会書記等8人が更迭されてしまったことさえある。
だから、このデータは、中国にしては珍しく信憑性があると言っていいだろう。
すべての「方艙(ほうそう)医院」 (コンテナ病院)も閉鎖
2月末からは、武漢に突貫工事で建設した「方艙医院」 (コンテナ病院)は次々とクローズされていったが、それもまた武漢が安全になったことを意味している。習近平が武漢入りした3月10日午後には、最後の(16個目の)方艙医院も役目を終えて閉鎖された。入院していた患者が治癒して退院したために、もうコンテナ病院は必要なくなったということだ。
したがって、「人民戦疫」の「勝利宣言」は、一応、実質を伴っていたと言っていいだろう。
もっとも中国庶民の間では「真の功労者は誰か」という意味で、習近平の行動を「摘桃子(ズァイ・タオズ」(他人の栄誉を横取りして自分の功績とする)という言葉がささやかれているが。
湖北省以外の封鎖
そこまで抑え込みが可能だった理由はいくつもある。
湖北省以外の地区でも外出制限といった形での封鎖管理が行われていた。
外出制限が設けられた地区は、あまりに多いので全て列挙することは困難だが、たとえば(封鎖管理が出された順番に書くと)重慶市万州区や寧夏回族自治区銀川市を皮切りに、部分的に江蘇省、河南省、浙江省、黒竜江省、福建省、山東省、江西省、海南省、雲南省、安徽省、吉林省、河北省、遼寧省、広東省、天津市、北京市、上海市、陝西省、内蒙古自治区・・・の一部地域など、数十か所に及ぶ。
いかに中国全土に広がっていたかが分かるだろう。それは即ち、いかに安倍首相の決定が間違っていたかを如実に証明するものなのである。3月9日のコラムに「コロナ禍は人災」と書いた所以(ゆえん)である。
人民に「緑コード、黄コード、赤コード」を付けて監視
中国の人民はみな身分証明書を常に持参していて、その番号をパソコンに入力すれば、その番号の人物の全てが分かるというシステムになっている。また当局が監視したい人物の番号をパソコンに入力して監視すれば、その人物が今どこで何をしているか、その足跡を全てくまなくトレースできるようなシステムになっている。