さまようアフリカ難民に、安住の地は遠い
Europe’s Harsh Border Policies
それでも私は、キャンプの外にあるバーに集まった人たちから話を聞くことができた。1年以上前から私に、リビアの収容所での人権侵害の証拠写真を送ってきていた人たちだ。隠し持っていた携帯電話で撮ったものだ。
ルワンダへ移してくれたことには感謝している、しかし、ここから出られないことには腹が立つ。彼らはそう言った。自分たちの未来が見えないし、リビアに残してきた仲間のことが心配だと。
彼らはルワンダに来る前、リビアのジンタンやアインザラ、トリク・アルシッカやサバアなどの収容所にいた。そこでは医療を受けられずに死んでいく人を目の当たりにしたし、食料の搾取や拷問、強制労働に就かされるなどのひどい体験もしたという。
「ルワンダに溶け込める」
重い武器を運ばされたときに割れたという爪を、アレクスは見せてくれた。彼がいたトリク・アルシッカ収容所では、絶望したソマリア人の男性が焼身自殺している。肺結核にかかった人もいれば、今なお心の傷と闘っている人もいる。「心が完全に壊れてしまった。オートバイやヘリコプターが怖い」と、あるエリトリア人は言った。
トラウマは簡単には消えない。国境なき医師団で人道問題を担当するソナル・マルワは、リビアの収容所の「危険な生活環境」や「深刻な人権侵害」を問題視する。収容所を出た後も、人々は不安神経症や鬱に苦しむという。
一方、ルワンダに移った難民も新たな現実と格闘している。長期の収容で運動不足になった体を「元の体形」に戻したくてダイエットを始めたと、若い女性は語る。
未成年者の一部は薬物やアルコールに溺れている。ルワンダ人売春婦の元に通う男もいる。深夜、外で酒を飲んでいた難民が襲われ、金品を奪われる事件も起きた。
「まだ歩けない赤ん坊が外を歩き回るようなもの。ここは未知の惑星だ」。あるエリトリア人男性はそう言う。
リビアも仲介業者も国連もルワンダも、自分たちを食い物にするだけだ、もはや誰も信用できない──そんな不信を募らせる人も多い。
話を聞いた15人の難民全員が、いずれはルワンダを出て欧米に移住できると信じていると語った。一部の難民はリビアをたつ前の晩に初めて、UNHCR職員からルワンダに長くとどまることになるかもしれないと聞かされた。
それでもルワンダ行きを断れば、ただでは済まない。UNHCRは、移送を断る難民は「非常に少ない」と認めている。断れば再定住や移送の対象から外されるからだ。
私の滞在中、ガショラの難民キャンプに緊張が走った。滞在が長期化すると感じた難民の一部が当局に抗議し、話し合いの席で椅子を蹴り倒したのだ。その後、彼らは集会を禁じられたという。
昨年11月、彼らは新たな衝撃を受けた。UNHCR地中海難民担当特使のバンサン・コシュテルが、ルワンダの難民は間違った期待をしているとツイートしたのだ。
「UNHCRにはリビアにいる難民全員を再定住させる義務はない」と、彼は書いた。「その気になれば欧米行きの選択肢を諦め、ルワンダ社会に溶け込めるはずだ」
とんでもない、こんな場所で暮らすくらいなら、仲介業者にもう一度金を払って渡欧を試みればよかった。リビアに戻ってやり直したほうがましだ。移送は国連のPRとルワンダの寛容さの宣伝に役立つだけで、誰も難民の利益など考えていない──そんな声も聞いた。