辺野古「反対多数」 沖縄ルポで見えた県民分断のまぼろし
OKINAWAN RHAPSODY
当時、小学生だったツル子は妹と2人で逃げ延びたが、周囲にいた見知らぬ大人たちに集団自決の輪に加わるよう迫られた。生きて米兵に捕まっても地獄が待っていると説得された。真ん中に置かれた手榴弾が爆発し、大人たちが死んだ。妹も死んだ。彼女だけがただ1人、生き残った。
小学校の課題で、宮里が祖父母の戦争体験を聞いたとき、ツル子は涙を流し後悔の思いを語っている。「自分のせいで妹は亡くなった」。彼女は親族を頼って沖縄に戻った。
『宝島』の舞台になった戦後のコザ市(現・沖縄市)に住み、新聞を読みながら言葉と社会情勢を学んだ。免許を取得し、トラックの運転手として働きながら、3人の子供を女手一つで育て上げた。その1人が宮里の母だ。「戦後の女、ですよね。この小説の中に出てきてもおかしくない」と彼女は思う。
宮里は「勉強が嫌い」で高校をさぼって書店に入り浸り、卒業後そのまま書店員になった。36歳になった今も政治的な関心は高くない。熱心にニュースをチェックすることもなく、新聞は職場に置いてあるものを流し読むくらいだ。県民投票をめぐって、ハンガーストライキがあったことも知らない。
「基地の話は友達とはやりにくいですよね。やっぱり複雑だから」と宮里は言う。仕事が長引き、日付が変わろうという時間に帰宅する。歩いている道で米軍車両に追い越されるとき、怖さはどうしても感じてしまう。もうこれ以上の基地は要らないだろうと思う一方で、基地で働いている人の仕事はどうなってしまうのか。そう考えると、口には出せなくなる。
自分から積極的に声を上げようとは思わないが、意思を示す機会があれば行く。それが彼女のスタンスだ。
ここまで話を聞いて、彼女の言葉を支えているのは、強烈に感じている家族の歴史だったことが分かる。今、なぜ自分がここにいるのか。戦争を生き延び、戦後を生き延びた祖母から連なる歴史だ。
彼女は『宝島』を読んで、歴史を自分のものにした。「私が記録の世界だと思っていた戦後の沖縄は、おばあちゃんが生きてきた時代」なのだと。
宮里が働く書店では、面白いことに基地問題について書かれた本は政治的な立場を問わず、同じように売れていく。ある女性客は彼女に「自分と反対の意見も知らないといけない」からと言いながら「賛成派」が書いた本を手に取る。「辺野古の写真を撮ってきた」と写真を見せてくる人、「基地がないと大変なんだから」と言いながら本を買っていく人......。こうして、気が付いたときにはどちらも入荷分が棚から消えていく。「だから、どっちの意見も大事なんですよね」