歴史問題はなぜ解決しないか(コロンビア大学特別講義・前編)
記憶というのはいくつかの点で違っているのですが、まず1つは、既にミシェルが指摘してくれたこと。例えば歴史書というのは、基本的には「戦闘靴の音」にまつわる感情的な作用については教えてくれません。(兵士たちが近づいてくるときの)戦闘靴の音を聞いた人が何をどう思ったのかについて、歴史書には伝えることが難しいのです。多くの歴史家たちは、戦場に行った兵士が実際にどう感じたのか、爆弾で殺されそうになったときに何を感じていたのかという、感情的な作用を伝えるのに苦しんできました。一方で、ナチスに支配されたヨーロッパについて書かれた小説の多くは、戦闘靴が近づいてくる音や爆弾が空から飛んでくる音を聞いたときの気持ち、つまり恐怖や不安について教えてくれることでしょう。
もう1つ、記憶が歴史と違うのは、記憶というのは、現代社会のマスメディアや大衆文化を介して世に出回っているものだということです。ベン・アフレックの映画やヒストリーチャンネルも、その媒介手段の例の1つです。これらを介して多くの人々に共有されるものを、「共通の記憶」と呼べるでしょう。
ここでまた質問です。なぜ現在は、パールハーバーについて耳にすることがそれほど多くないのでしょうか。1950年や、真珠湾攻撃から50周年の1991年にはアメリカや日本のメディアは盛んにパールハーバーについて報道していたのですが、今年はどうでしょうか。アメリカではあまり多くは聞かれないと思います。
「パールハーバー」から「9・11」へ
【ユウコ】 あの時代に生きていた人の多くが既に亡くなっているからだと思います。
【グラック教授】 それも1つの理由ですね。個人の記憶が失われた、ということ。真珠湾攻撃を生き抜いた人たちは、もうほとんど生存していないですね。
【トニー】 9・11に(パールハーバーが)取って代わられたことが理由でしょうか。
【グラック教授】 9・11(アメリカ同時多発テロ、01年)が起きたとき、あなたは何歳でどこにいましたか。
【トニー】 10年生で、フロリダ州タンパにいました。
【グラック教授】 なぜそう聞いたかというと、9・11が起きたときにアメリカ人が真っ先に思い浮かべたのが、道行く人からヘンリー・キッシンジャー(元国務長官)、名前は忘れましたがある歌手まで即座に思い浮かべたのが、「これは、もう1つのパールハーバーだ」ということだったからです。アメリカ本土が不意打ちに遭った、奇襲攻撃、だまし討ちされた、と聞いて、さまざまな年代の人が瞬時にパールハーバーと結び付けたのです。つまりそれは、真珠湾攻撃は「アメリカ国土への奇襲攻撃」という形で共通の記憶に刻まれていたということでした。9・11後、とっさの反応として「アメリカの愛国心」が出てきたのも、真珠湾攻撃との結び付きがあったようです。
トニーの質問に戻るとして、9・11がパールハーバーに取って代わったのかという点。ある年代の人にとってはそうでしょうね。9・11しか知らない若い世代にとって、「パールハーバー」は教科書上の出来事でしかありません。ですが、9・11は感情を伴う自分自身の体験として記憶に刻まれたのですから。ほかには? どうして現在はパールハーバーについてあまり聞かないと思いますか。
【トモコ】 日米関係がうまくいっているからでしょうか。もしうまくいっていなかったら、アメリカ人は日本に対して抗議したいと思うかもしれません。
【グラック教授】 そのとおりです。日米関係の変化、というのは重要です。ここまで、個人の記憶について、また9・11についての議論がありましたが、今度は地政学的な議論になります。日米関係は、1941年から1945年までは敵同士だったところから、長年の同盟関係に変化してきました。この間のパールハーバーについての共通の記憶を追っていくと、それが米国内と日本国内の双方で変化してきたことが分かります。そして、2016年の12月に何が起きたでしょうか。これは日米関係の物語の、最終章の局面とも言える出来事でした。誰か分かる方はいますか?
2016年12月にハワイのUSSアリゾナ記念館で何が起きましたか?(編集部注:アメリカ人の学生は誰も手を挙げない)