北朝鮮の金正恩 「狂気」の裏に潜む独裁者の帝王学
北朝鮮が核抑止力の保有に向かってひたすら走り続けているのは、同国が脅威を感じており、正恩氏がカダフィ大佐のような運命に直面するかもしれないことをことさら危惧しているからだ。カダフィ大佐は2003年、大量破壊兵器の放棄に同意し、2011年に米国とその同盟諸国が支援する反政府勢力によって殺害された。
正恩氏が指導者となって数カ月後、北朝鮮は憲法を改正し、核保有国と明記した。
正日氏の葬儀で棺をかついだ主要人物の1人、朝鮮人民軍の李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長は2012年7月、正恩氏によって解任された。韓国の情報当局はのちに、李氏が処刑されていたことを確認している。
北朝鮮は2012年12月までに、別のミサイル発射実験を成功させている。
2013年、正恩氏は核兵器開発と経済成長を平行して進める「並進路線」という新しい政策を打ち出した。
この政策には核抑止力が不可欠だと、2016年に韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)前駐英公使は指摘。完全破壊という脅威は、核爆弾を「貧者の兵器」にさせ、それにより自国支配を強化し、長期支配が確保されると太氏は語る。
「使用可能な核兵器を手に入れたら、彼(正恩氏)はもっと柔軟にリソースを配置し、民間の建設事業にも軍を送り込む余地が生まれる」
愚かな夢
北朝鮮は国内総生産(GDP)の約4分の1を防衛費に充てている。正恩氏は核プログラムを放棄するより、国民に「草を食べさせる」だろうと、ロシアのプーチン大統領は語っている。
その一方で、飢きんに見舞われた教訓から、国民の繁栄を促進したいとも正恩氏は語っている。
元専属料理人の藤本氏は、2000年にスイスの学校から夏休みで帰国した際、正恩氏は父親の北京訪問に夢中だったと話す。
「話をしよう」と、未来の指導者である正恩氏が父親の専用列車で酒を飲みながら、こう切り出したことを藤本氏は思い出す。「上から聞いた話だが、中国はエンジニアリングや商業、ホテル、農業などあらゆる面で成功を収めているようだ。多くの点で、手本とすべきではないか」と正恩氏は語ったという。
2012年、政権の座に就いてから間もなくして、正恩氏は中国が1980年代に行った改革を真似し始めた。農家は収穫物の大半を手にすることが許された。国営企業は市場価格で売買したり、労働者を雇用・解雇したりする権利が与えられた。民間の起業家やトレーダーは国家プロジェクトに党や軍の機関などと共に参入することを奨励された。同氏はまた、父親が封じ込めることができなかった非公式市場に目をつぶるようになった。
同年4月、正恩氏は国民に向け演説した。北朝鮮国民が指導者の声を聞いたのは17年ぶりのことだった。「国民が二度と生活を切り詰めることがないようにすることが、党の確たる決意である」と同氏は述べた。