コンゴ・カビラ大統領とルワンダの利権 ----コンゴ中央部、国連とムクウェゲ医師の「忘れられた危機」
このように人為的に国内が不安定化することは、J・カビラ大統領にとって都合がよい。というのも、昨年12月にJ・カビラは2期の任期満了を迎えたが、大統領選を実施しないまま大統領職に居座り続けている。国内の不安定化がまさしく選挙を延期する口実になっているからである。
ルワンダがカサイ州の「暴力」を裏工作
カサイ州の「暴力」の裏にいたのはカタ・カタンガだけではない。隣国ルワンダが工作していたことも発覚された。
ラジオ・フランス・インターナショナルのジャーナリスト、ソニア・ロリー(Sonia Rolley)の報告書によると(注1)、1996年以降のコンゴ東部の紛争に関与していた反政府勢力のエリック・ルホリンべレ将軍(Eric Ruhorimbere、ルワンダ系コンゴ人)がカサイ州の「暴力」に加担している。
ルワンダは1996年から2013年まで、AFDL、RCD、CNDP、M23と次から次へと「コンゴ」の反政府勢力を創設してきた。名前は変更しているものの、指揮を執るのはほぼ同人物である。それらの反政府勢力はコンゴ東部で大量殺戮などの重大な罪を犯してきたが、その加害者がカサイ州に移送され、そこで再び暴力などの罪を犯しているのである。約20年間の不処罰の文化が招いた悪循環だ。
ルワンダがコンゴの紛争に介入してきたことは、2001年以降の国連報告書などにより認知されていた。ルワンダのカガメ大統領の元側近であるテオジェン・ルダシングワ(Theogene Rudasingwa)元駐米ルワンダ大使曰く、
「第1次コンゴ戦争後(1996~1997年)、資金が軍隊を通じて入るようになった。が、その資金がルワンダ国家の金庫に収まることはなく、RPF(ルワンダ現与党)の資金になった。カガメ大統領のみがその金額や支出先について知っている。会合でもよく言っていた。『ルワンダを強化するためには、コンゴが弱体化し、分断されなければならない』と」(注2)
つまり、コンゴの紛争や暴力を意図的に長期化することによって、コンゴ東部の資源を不法に搾取してきたルワンダ政府、とりわけカガメ大統領が恩恵を受けてきたのである。そして大統領職に居座りたいコンゴのJ・カビラ大統領も。
J・カビラの実の国籍はコンゴ人ではなく、実の父親はルワンダ人で、母親はツチで、本名も「ヒポリテ・カナンベ」だと言われている。カガメの操り人形である。父親のローラン・D・カビラは、モブツ政権が打倒された1997年から暗殺されるまでの2001年にコンゴの大統領だったが、J・カビラはそれを引き継いだ。行政経験は全くなく、亡命先のタンザニアでは運転手や道端で卵売りとして働いていたにもかかわらずである。
ブルームバーグ誌によると、カビラ一家は国内のさまざまな企業を所有している。
https://www.bloomberg.com/news/features/2016-12-15/with-his-family-fortune-at-stake-congo-president-kabila-digs-in
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(注1)RFI, "RDC: Violence"
(注2)The Guardian, "Why Blair and Buffett are wrong about giving international aid to Rwanda", 12 April 2013