ジャニーズと戦後日本のメディア・家族(後編)
〈ジャニーズ〉の後輩フォーリーブスの江木俊夫によれば、ジャニー喜多川は、素朴な感性をもち、ひたむきに夢を追いかけるような少年を採用の基準とした。ジャニー喜多川は、その子どもの顔つきを見ただけで「星の王子さま」のようなアイドルとしての資質の有無を見抜いたという。そのため、ジャニー喜多川自身も、どんなときも「子供心をくずさない気持ち」で、少年たちに接していたし、自宅のレッスン場には「大人の世界の空気を感じさせるようなもの」はいっさいなかったという(江木・小菅一九九七:一九‐二一、六八)。「ジャニーズ・ジュニア」という仕組みは、このような「未熟」で「少年らしい」アイドルたちが絶えず送り出される次世代育成・再生産システムとして機能しており、ジャニーズ事務所の核心だったといえる。ジャニーズ・ジュニアの結成は早く、〈ジャニーズ〉のバック・バンドとしてすでに活動していた(図2 ※アステイオン本誌には掲載)。
ジャニーズ事務所のアイドルたちが、子どもじみた「未熟さ」を演じて親しみやすいキャラクターを作り上げていったのは、とりもなおさず、テレビを視聴する近代家族を意識してのことであった。〈ジャニーズ〉は『マーガレット』のような雑誌にグラビアが掲載されるなどして少女ファンを取り込んではいたが、ジャニー喜多川は、そのうえさらに、ファンの両親にも好感をもたれる清潔なアイドル、「コンサートに家族連れで行けるようなアイドル」となることを求めた。それは、家族を味方につければ「ファンが連綿と引き継がれていく、というもくろみ」があってのことだった(江木・小菅一九九七:七三)。実際、〈ジャニーズ〉に寄せられたファン・レターの半分は大人たちからのものだったという(中谷一九八九:一三〇)。楽曲も家族向けを意識して作られていたと思われ、なかには「ホーム・ソング調」と評された楽曲もあった(渡辺音楽出版株式会社『黄金の椅子1――ジャニーズ・ヒット・アルバム』国際音楽出版社、発行年不明)。
「ジャニーズ」はファンの家族を巻き込んでいったばかりでなく、ファンたちを「ファミリー」と呼び、「家族」というメタファーをつうじてアイドルを消費する仕組みを作り上げてもいた。現在でも、「ジャニーズ」のファン・クラブは「ファミリー・クラブ」と呼ばれており、台湾のファンたちもまた「傑尼斯家族(ジャニーズ・ファミリー)」と呼ばれている。「ジャニーズ」は一家団欒、子ども中心主義、ヘテロセクシズムといった近代家族的な規範の再生産に寄与したのであり、これに対して挑戦を突きつけることはまずなかった。
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*本稿は、二〇一六年度サントリー文化財団「知」の試み研究会、ならびにJSPS科研費26870168の研究成果の一部である。本稿で使用した図版はすべて筆者所蔵。
[注]
(4)「御三家」に比べれば、〈ジャニーズ〉は格下扱いだった。たとえば、一九六五年公開の映画「あの雲に歌おう」では、西郷輝彦が友情出演で注目を集め、主題歌も歌ったのに対し、〈ジャニーズ〉は脇役に過ぎず、見どころといえば劇中で唐突に歌われる《若い涙》の歌唱シーンだけだった。そもそも〈ジャニーズ〉は、映画では主演の機会に恵まれなかった。
周東美材(Yoshiki Shuto)
1980年生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了、博士(社会情報学)。首都大学東京、東京音楽大学等の講師。専攻は文化社会学。著書に『童謡の近代――メディアの変容と子ども文化』(岩波書店、日本童謡賞・特別賞、日本児童文学会奨励賞)、『カワイイ文化とテクノロジーの隠れた関係』(共著、東京電機大学出版局、日本感性工学会出版賞)、『文化社会学の条件――二〇世紀日本における知識人と大衆』(共著、日本図書センター)など。
『アステイオン85』
特集「科学論の挑戦」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス