トランプ、同性婚、「価値観」の有無......阿川尚之氏に聞く米国憲法の歴史と憲法改正(後篇)
「価値観」抜きの憲法改正論争を
――最近では日本でも統治機構の話の他に人権の話も出てきてはいますが、それでも憲法改正と言うと、9条のことばかりが取り上げられがちで、議論が成立しにくいですね。
阿川:日本での改憲に関する議論を聞いていると、保守も革新も、自分たちの価値観を憲法に入れようという人が多いように感じます。たとえば愛国心に関する規定を入れようとか、新たに環境権を明記しようとか。特定の価値観を憲法に盛りこむのは、あまり賢いことだとは思いません。人々の価値観は変わるし、特定の価値観を憲法に盛りこんでも、どうやってそれに実効性をもたせるのか、保障がありません。LBGTなど社会の少数者の権利についても、憲法に特定の権利を書くというのではなく、彼らが不正な取り扱いを受けた時に、どうやってそれを正すかについての仕組みを設けて活用した方がいいと思います。
日本国憲法の問題点の一つは、草案を作ったGHQの人たちが当時の価値観を色濃く反映した条文を、多数入れてしまったことだと考えています。そもそも原案には、社会主義的な一部起草者の価値観を反映する、基本的に財産権を認めないというような過激なものまでありました。
ほかにも「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ...」という97条があります。これについては日本側が条文の体裁にそぐわないし、11条とも重複するので削除したいと申し出ましたが、「GHQ民政局長のコートニー・ホイットニー准将が一生懸命考えたものだから、お願いだから入れてくれ」と言われて止むを得ず残したものが、いまだに残っているわけです。でも、宣言にとどまっていて、何の効用もありません。今更削除するのも、変なものですし。憲法の"盲腸"のようなものでしょう。
そのように価値観を表明した条項の一つが、9条だと思います。戦争をなくす、侵略戦争はしないという価値観はけっこうだと思いますが、そのための手段が陸海空軍その他の戦力保持の禁止と交戦権の否定のみでは心細い。その隙間を埋めるために設立されたのが、憲法上は軍隊でも戦力でもないことになっている自衛隊ですが、いかにもすっきりしない。さらに怖いと思うのは、憲法上軍隊はいないことになっているために、誰が自衛隊を指揮し、動かすのか、その予算はどうするのか、何も規定がない。実質上の軍隊である自衛隊をいかに制御するかについて、第9条の規定ならびにその解釈とやや矛盾する第66条のいわゆる文民条項を除いては、日本国憲法は何も言っていないのです。
アメリカの場合はシンプルで、議会は、陸軍と海軍の創設維持と規則制定、軍隊の予算計上、宣戦布告などの権限を有し、一方大統領は国軍の最高指揮官であり、(武力行使をふくめ)すべての執行権を有することが、憲法に規定されている。議会と大統領の両方が戦争権限を持っていて、互いに抑制しあうことが、ある意味で無謀な戦争を防ぐ機能を果たしています。米軍がベトナム戦争から最終的に撤退したのは、議会が予算を付けなくなったからという側面もありました。これまた価値観ではなく、仕組みや手続きで、戦争の危険を減らす工夫です。
合衆国憲法が制定以来現在まで長続きした理由の一つは、特定の「価値観」をほとんど入れなかったからだと思います。国王を廃し、貴族を認めないという条項を入れた部分は確かに「価値観」かもしれません。しかし、それ以外にはほとんどありません。多くは手続きに関する規定で、刑事事件の被疑者の権利などを定めた「権利章典」(最初の10の修正条項)の規定が典型です。個人の人権も公正な手続きの保障によって守るというのが、アメリカ憲法の基本的な考え方でしょう。
日本国憲法にも、こうした手続き規定がいろいろ設けられていますが、たとえば国民審査の規定、司法審査の規定、改正に関する規定など、あまりうまく使われていないものがあります。イデオロギーに囚われることなく、こうした手続き条項をもっと使えるように、いろいろ制度を工夫して、少しずつ良くしていけばいいのではと思います。
阿川尚之(あがわ・なおゆき)
1951年、東京都生まれ。同志社大学法学部特別客員教授。慶應義塾大学名誉教授。慶應義塾大学法学部中退、ジョージタウン大学スクール・オブ・フォーリン・サーヴィスならびにロースクール卒業。ソニー、米国法律事務所勤務等を経て、慶應義塾大学総合政策学部教授。2002年から2005年まで在米日本国大使館公使。2016年から現職。主な著書に、『アメリカン・ロイヤーの誕生』、『海の友情』、『アメリカが嫌いですか』、『憲法で読むアメリカ史』(読売・吉野作造賞)、『憲法改正とは何か――アメリカ改憲史から考える』
『憲法改正とは何か――アメリカ改憲史から考える』
阿川尚之
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