こんまりの魔法に見る「生と死」
30代の近藤は自分の言葉の深い意味に気付いていないかもしれない。でも表紙カバーをデザインした人は気付いていたらしい。そう、この本は80年代風の自己啓発本ではない。むしろ「同情」や「哀悼」のイメージを表現するグリーティングカードだ。ただしここでは悲しむ人と慰める人が同じで、喪失はまだ訪れていない。
近藤の本は人間の死すべき運命を、間接的にではあるが、執拗に言い立てる。やがて故人となるのは読者。「死」こそ最大の「人生の魔法」だ。
具体的な方法は役に立つ
こう感じるのは私だけかもしれない。アデルの大ヒット曲「Hello」のミュージックビデオの冒頭、荒れ果てた家のドアを開ける場面を見て、とっさに亡くなった親の家を整理するのだろうと思い込むような人間だから。所有する物が不必要であることを強調する行動があるとしたら、まさにこれだ。
物にせつない思いを抱くことがあるという点で、おそらく近藤は正しい。だが理由が同じとは限らない。近藤は物に感情があるという信念を持っており、せつなさはそこからきている。彼女は自分の持ち物に話し掛け、感謝したりする。例えば続編では、ブラジャーについて「出している空気感とプライドが別格」と述べている。
やる気満々の片づけ志願者への近藤の処方箋は極めて感傷的で、同時に厳しい。物の運命を決める前に、一つ残らず手に取りなさい。そして心がときめくかどうかを自分に問い掛ける。もし答えがノーなら、特大サイズのゴミ袋へ!
近藤はいつも「ときめくかどうか」を判断基準にしているが、『人生がときめく片づけの魔法』は読んでときめく本ではなかった。彼女は「三人きょうだいの真ん中」だったため、親にあまりかまってもらえず、「家にいるとき一人で過ごすことがほとんど」だった。だから、5歳の頃から主婦雑誌を愛読していたという。
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学校に入ってもあまり友達ができなかったが、教室の整理整頓を楽しんだ。「休み時間はずっと一人で片づけをしていたわけですから(略)明るい子どもとはいえないでしょう」
この本の終盤では、自分はあまり他人を信用できないたちだと告白しており、「無条件に愛されているとか感謝する感情を、親や友人よりも先に教えてくれたのが、モノたちであり、おうちでした」と書いている。なんて悲しい文章だろう。
続編はもっとかわいらしい感じで、「こんまりメソッド」の具体的な片づけ方をいろいろ紹介している。役立つことばかりで、特に衣類の畳み方が素晴らしい。私はこの畳み方を尊敬し、真剣にまねしている。