最新記事

文化

モスク幻像、あるいは世界史的想像力

2015年12月11日(金)15時48分
谷口功一(首都大学東京法学系准教授)

 マリクによるなら、統合に失敗したムスリムの若者がイスラム原理主義思想に触れて過激化し、テロへと走ったという枠組みは過度の単純化である。われわれは、現に日々の生活を営む膨大な数のムスリムたちとイスラム世界の襞(ひだ)を、より繊細な微視的観点から知ろうとする必要があるのではないだろうか。

 他方、巨視的観点からするなら、以下のような「世界史的想像力」を働かせる余地もあるように思われる。すなわち、イスラム教の起源は、三大天使のひとりガブリエル、アラビア語ではジブリールからムハンマドがアッラーの啓示を受けたとされる西暦610年頃だが、それから数えるなら現在は"1405年"――時間軸上でのキリスト教との単純な対比で言えば、イスラムは15世紀のただ中にあるということになる。ヨーロッパの15世紀は、プロテスタントの先駆であるヤン・フスが火刑に処され、同時にルネッサンスが花開いた時期でもあった(日本は室町時代で、足利義満が明との間で勘合貿易を行い、金閣寺を建立していた)。

 ヨーロッパにおける宗教的虐殺のひとつの頂点は、1572年にフランスで発生したサン・バルテルミーの大虐殺であり、そこではカトリック(旧教)が数千から数万におよぶユグノー(新教)を虐殺した。この大虐殺への深刻な反省から、宗教的対立よりも政治的配慮を優先するポリティークが現れ、そしてジャン・ボダンの近代的主権理論と共に「宗教的寛容」が産み出され、さらには現代へと連なる欧州的近代の起源たる1789年の革命が準備されたのだが、この間じつに217年の歳月が費やされている。

 イスラムとの「文明の衝突」のただ中にあるとされる西洋文明の根幹をなすキリスト教の側も、しかし、決して単線的に「進歩」しているわけではない。周知のとおり、IS殲滅の急先鋒に立つアメリカでは現在でもキリスト教原理主義が強い影響力を持ち、つい最近11月27日にもキリスト教テロ組織を称賛する原理主義的保守派の男性によってコロラド州の人工妊娠中絶を行うクリニックが銃撃され、12人の市民と警官が死傷している。合衆国憲法修正第14条が女性の堕胎の権利を保障していると初めて判示し、妊娠中絶を規制するアメリカ国内法の大部分を違憲無効としたロー対ウェイド事件の判決が下されたのは1973年であり、今回の銃撃事件は、それから42年もの年月が経ったあとの出来事なのである。――冒頭でも触れたパリでのテロ事件と、この事件の間に何か本質的な違いがあるだろうか。

 さきに述べたKusrianとの会話を楽しんだジャカルタへの帰路、山沿いの裏道からハイウェイ1号線へと合流する直前、突如として姿をあらわす見たこともないくらい巨大な、骨組みだけのモスクが野っぱらに屹立していて、わたしはしばらくの間、取り憑かれたようにそれから目を離すことが出来なかった。あれが未だ建設途上のものだったのか、あるいは立ち枯れたままに放置された廃墟だったのか、今となっては知るよしもないが、わたしの心の中ではイスラムだけでなくキリスト教も含む世界史への想像力の奔流が、このモスクの姿と重なり合いながら曖昧に像を結んでいる。

[執筆者]
谷口功一(首都大学東京法学系准教授)
1973年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て現職。専門は法哲学。著書に『ショッピングモールの法哲学』(白水社)、『公共性の法哲学』(共著、ナカニシヤ出版)など。
ブログより:移民/難民について考えるための読書案内――「郊外の多文化主義」補遺


<*下の画像をクリックするとAmazonのサイトに繋がります>


『アステイオン83』
 特集「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

FRB、今年の大手銀行ストレステストで資本要件変更

ビジネス

英アーム、ライセンス収入が市場予想下回る 時間外取

ワールド

「関税はインフレ招く」の見解訂正、FRBは国民の信

ビジネス

米クアルコム、1─3月期見通しが予想下回る メモリ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプの帝国
特集:トランプの帝国
2026年2月10日号(2/ 3発売)

南北アメリカの完全支配を狙うトランプの戦略は中国を利し、世界の経済勢力図を完全に塗り替える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 2
    致死率は最大75%のニパウイルスが、世界規模で感染拡大する可能性は? 感染症の専門家の見解
  • 3
    エプスタインが政権中枢の情報をプーチンに流していた? 首相の辞任にも関与していた可能性も
  • 4
    高市首相の発言は正しかった...「対中圧力」と「揺れ…
  • 5
    トランプ不信から中国に接近した欧州外交の誤算
  • 6
    米戦闘機、空母エイブラハム・リンカーンに接近した…
  • 7
    ユキヒョウと自撮りの女性、顔をかまれ激しく襲われ…
  • 8
    アジアから消えるアメリカ...中国の威圧に沈黙し、同…
  • 9
    電気代が下がらない本当の理由――「窓と給湯器」で家…
  • 10
    グラフが示す「米国人のトランプ離れ」の実態...最新…
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    180万トンの「リチウムごみ」を資源に...EV電池の「副産物」で建設業界のあの問題を解決
  • 4
    日本への威圧を強める中国...「レアアース依存」から…
  • 5
    ロシア軍の前線で「弾よけ」にされるアフリカ人...兵…
  • 6
    「出禁」も覚悟? ディズニーランドで緊急停止した乗…
  • 7
    致死率は最大75%のニパウイルスが、世界規模で感染…
  • 8
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
  • 9
    町長を「バズーカで攻撃」フィリピンで暗殺未遂、大…
  • 10
    高市首相の発言は正しかった...「対中圧力」と「揺れ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 3
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した──台湾高官が分析
  • 4
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 5
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 6
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 7
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 8
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 9
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 10
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中