毛沢東は「南京大虐殺」を避けてきた
たとえば大陸の百度(baidu)で検索した場合、「毛沢東 南京大虐殺」と入れると、日によって異なるが200万項目ほどヒットする。そのほとんどは、この疑問への投げかけだ。
中にはきちんと中国建国以来、いつまで南京大虐殺を隠し続けたかを調べた人もいる。この種の記事は多いが、信じていただくために一つだけ具体例を挙げよう。
2014年12月31日付の西陸網(www.xilu.com)(中国軍事第一ポータルサイト)で「毛沢東時代はなぜ南京大虐殺に触れなかったのか――恐るべき真相)」というタイトルで陳中禹(う)という人がブログを書いている。
彼は1958年版の『中学歴史教師指導要領』の中の「中学歴史大事年表」の1937年の欄には、ただ単に「日本軍が南京を占領し、国民政府が重慶に遷都した」とあるのみで、一文字たりとも「南京大虐殺」の文字はないと書いている。この状況は1975年版の教科書『新編中国史』の「歴史年表」まで続くという。
ちなみに、毛沢東が逝去したのは1976年。陳氏によれば、1979年になって、ようやく中学の歴史教科書に「南京大虐殺」という文字が初めて出てくるとのことだ。
他の情報によれば「1957年の中学教科書にはあったが、60年版では削除されていた」とのこと。実際、確認してみたが、たしかにその時期、南京大虐殺を書いた教科書が江蘇人民出版社から出たことがある。しかし、その後消えてしまっている。
200万項目ほどヒットする関連情報の中に、「1980年代に入ると日本の歴史教科書改ざん(美化)問題があったため、中国の一般人民は初めて南京で日本人による大虐殺があったことを広く認識し始めた」というのが多い。それによれば人民日報が初めて「南京大虐殺」に関して詳細に解説したのは1982年8月で、その書き出しは「日本の文部省の歴史教科書改ざん問題」から始まっているとのこと。
そのため大陸の多くのネットユーザーは、「中国人民は日本の右翼に感謝しないとねぇ。なんたって、彼らがこうやって歴史歪曲を始めようとしなかったら、中国人民は永遠に南京大虐殺のことを知らないまま、生きていたのかもしれないんだから」と、皮肉を込めて書いている。
ちなみに、「南京大虐殺記念館(中国名:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)」は、日中戦争勝利40周年記念に当たる1985年8月15日になって、ようやく建立された。