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バス放火事件でうごめく「文革式」治安維持

アモイで起きた凄惨な事件の容疑者を当局は「社会的極悪人」と決め付け憎悪感情を操るが

2013年6月25日(火)16時55分
ふるまいよしこ(フリーライター)

憎悪の爆発 炎上するバスを遠くから眺めるアモイの野次馬たち Reuters

 中国南部の経済都市アモイで6月7日の夕刻、帰宅ラッシュで混み合うバスが突然燃え上がり、死者47人を出す大惨事が起きた。アモイ市公安局は翌日、死者の1人の陳水総(チェン・シュイツォン)が車内でガソリンをまいて火を付けた、と発表。バス停付近の監視カメラに映った、荷物を載せたカートを引っ張る陳の姿が決め手になったという。

 公安局は「生活苦から世の中を恨んでいた」と動機を説明した。だが事件当夜にネットユーザーが発見した陳のマイクロブログには、政府に陳情を繰り返していた様子がつづられていた。

 それによると、彼は1953年生まれの60歳。文化大革命で農村に追いやられ、84年にアモイ戸籍を取り戻したが、生活は極貧状態。戸籍担当者が誕生年を「1954年」と書き間違えたため、本来ならば今年から受け取れるはずの年金交付を拒絶され、記録訂正を求め続けていたらしい。

 陳が遺書を残していることも明らかになったが、公安局は具体的な内容の公開を拒否した。すると、「なぜ隠すのか、何を隠すのか」という疑問とともに、「死人に口なしで、歴史に翻弄された容疑者が抱えていた社会問題をごまかすつもりか」という批判が上がり始めた。

 陳のような背景を持つ人は、政治闘争が吹き荒れた中国を生きた世代に散見される。彼らは政治運動に翻弄され、幸運なことに農村から都会へ戻れても、教育を受けるタイミングを逸してしまった。陳は屋台を開いては取り締まりに遭い、ここ数年は工事現場の警備員の仕事を転々としていた。

習近平時代に甦ったのは

 一部メディアは遠慮がちに、歴史に振り回され、底辺の生活を余儀なくされてきた陳の絶望を解説したり、犯行の対象となったBRT(バス高速輸送システム)の構造が燃え上がりやすいものだったなどと客観的事実を指摘している。

 だが、アモイは全国の大学卒業者が就職地に選ぶ大都市の1つ。中流意識の高いこの街で、46人もの無関係な市民が「底辺層の社会への不満」の道連れにされた現実に、「陳の行為は無責任。歴史を言い訳にするな」と激しい怒りが起きた。

 当局にとって、そんな市民の嫌悪感は治安維持に都合がいいのかもしれない。政府系メディアの環球時報などは「反社会的な犯罪をまず糾弾すべき」と陳を断罪。そこに至った具体的背景には触れず、「貧困」「底辺」「人付き合いの悪さ」などを強調し、市民の幸福な生活を破壊する「社会的極悪人」のイメージをあおっている。

 先月には海南省から始まり、次々と小学校校長ら教育者による子供への性的暴行事件が発覚。「校長先生、女が必要なら私をどうぞ。小学生には手を出さないで」というプレートを持って抗議した女性人権活動家が拘束、釈放された。すると彼女の自宅を住民数百人が取り囲み、「売春婦!」「街から出て行け!」と騒いだが、現地の公安当局は何の動きも見せなかった。

 市民感情をたき付けて「不穏分子」を攻撃させるのは、かつての文化大革命と同じ手法だ。習近平(シー・チンピン)国家主席は共産党幹部の子弟である太子党だが、文革時代に自らも農村に下放された経験がある。そんな彼がトップに立つ今の時代に、このような「文革式治安維持」が頻発しているのは偶然なのか。嫌悪感を増長させ、市民の力で市民を排斥する治安維持は社会の安定につながるのか。

 かつて文革がもたらした社会分裂という教訓を顧みない治安維持の手法に、文革の後遺症を負った男がはまり込んだのは皮肉としか言いようがない。

[2013年6月25日号掲載]

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