キルギス「独裁による安定」の幻想
強権体制に怒る国民が成し遂げた突然の政権転覆劇に学ぶべき教訓
混乱の渦 煙を上げる大統領官邸前で電話を掛ける反政府デモの参加者(4月7日、ビシケク) Vladimir Pirogov-Reuters
反政府デモに始まった騒乱が雪だるま式に膨れ上がり、ついには大統領が首都から逃れるキルギスで起きた出来事は中央アジアをはじめ、各地の独裁的指導者にとって最悪の悪夢だった。
キルギスのクルマンベク・バキエフ大統領は4月7日夜、デモ隊と治安部隊が衝突するなか、首都ビシケクから脱出。翌日には野党勢力が臨時政府樹立を宣言した。
強権的な体制で権力基盤を盤石にしたはずのバキエフは突如、国民の怒りに直面した。彼らは各地の庁舎を占拠し、モルドムサ・コンガンチエフ内相らに重傷を負わせ、プライベートジェット機で逃亡する事態へ大統領を追い込んだ。
今回の出来事は05年にこの国で起きたチューリップ革命の奇妙な再現劇だ。議会選挙で不正があったとして野党勢力がデモを展開した当時も抗議活動が急速に拡大し、アスカル・アカエフ大統領はロシアへ逃れ、バキエフが新たな大統領に就任した。
各国の専門家やジャーナリストはすぐにチューリップ革命を、03年のグルジアのバラ革命や04年のウクライナのオレンジ革命と同種のものと位置付けた。
確かにいずれのケースでも、旧来の腐敗した共産党エリート層と憤る民衆の対決という構図は同じだ。だが実際には、キルギスの革命で権力を握ったのは民主主義的な親欧米派ではなく、旧共産党政権の元官僚。彼らはたちまちアカエフ並みの嫌われ者になった。
バキエフ一族は「マフィアのように国を支配していた」と、米バーナードカレッジのアレグザンダー・クーリー准教授(国際関係学)は指摘する。
キルギスと中央アジア全域の民衆にとって最悪だったのは、バキエフとその一派が直ちに野党や国際的な活動団体の弾圧に乗り出したことだ。国内におけるアメリカの存在感の低下を狙い、米軍が駐留するビシケク近郊のマナス空軍基地の閉鎖もちらつかせた。米軍にとってこの基地は、アフガニスタンでの対テロ作戦に物資を供給する重要な中継拠点だ。
ロシアや欧米にも影響が
キルギスで起きた突然の政権崩壊は、自身の権力維持に躍起になる中央アジア各国の指導者にとって悪夢というだけではない。中央アジアの隣にあるロシアや中国にとっても、アフガニスタンなど各地でテロや麻薬密売と戦う欧米諸国にとっても懸念すべき問題だ。
今回の事態は、資源豊富な中央アジア各国の指導者は口で言うほど安定した体制を築いていないという事実を証明している。
チューリップ革命が起こるまで、中央アジアの旧ソ連圏5カ国のうち4カ国は共産党政権時代の大物に牛耳られ、推定によると世界の天然ガス供給量の35%が彼らの手中にあった。カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領とウズベキスタンのイスラム・カリモフ大統領は今も権力の座にある。人権侵害を批判される2人はキルギスでの出来事を受け、今後さらに締め付けを強めるだろう。
バキエフの失墜で、欧米は中央アジアの腐敗した体制に対する支援を考え直すかもしれない。
「過去数年、欧米諸国やEU(欧州連合)は安定のためなら統治の質を問わない姿勢を見せてきた」と、クーリーは言う。だが、キルギスの動乱で「それは誤った取引だった」ことが判明した。
言い換えれば、抑圧や汚職は体制を弱体化させるだけ。弱体化した体制は崩壊し、民衆は誰が独裁者を支持したかを忘れない。
そのため、驚いたことにと言うべきか、今回ロシアの印象はアメリカよりいい。ロシア政府は少なくとも1年ほど前からバキエフ政権を強く批判していた。