コペンハーゲン会議が残した3つの教訓
大した成果もないまま閉幕したCOP15から読み取れるのは「ミニ多国間主義」への転換と、オバマ外交の落とし穴──
何も決まらず 世界中の指導者がコペンハーゲンに集ったが、法的拘束力のない政治合意にこぎつけるのがやっとだった Reuters
コペンハーゲンで開かれた国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)には、どんな成果があったのか。答えは「大した成果はなかった」だ。
2年の準備期間を経たにもかかわらず、COP15は不協和音だらけで、事実上の暗礁に乗り上げていた。会議が完全な失敗に終わる可能性が現実味を帯びるなか、主要国は法的拘束力のない「合意」をなんとか取りまとめた。温室効果ガス削減は各国の自発的な努力にまかされ、2度以内という気温上昇の抑制目標値にも大した根拠はない。
環境保護団体グリーンピースは、ツイッターで次のように指摘した。「計画に2年を費やし、交渉に2週間をかけたのに、最後の2時間で不完全な合意ができただけだった。これで信用できる温暖化政策の『チェンジ』といえるのか」
バラク・オバマ米大統領が、予定を1日早め、ワシントンに異例の大雪が降る前に帰国したのも象徴的な出来事だった。私は環境問題の専門家ではないが、どうしても指摘しておきたいことが3つある。
まず、私のブログを以前から読んでいる人ならわかるように、COP15の結末は驚くべきものではない。エコノミスト誌が1週間ほど前に指摘したように、「気候変動問題は世界がかつて経験したことのない難しい政治課題」なのだ。
地球温暖化についての科学的な不確実性(温暖化の事実が証明されていないのではなく、どの対応策が最も効果的かわかっていない)があることに加えて、人為的な気候変動への対応は各国の足並みをそろえるのが難しい課題の典型例だ。
温暖化の被害を受けたくないという思いはすべての国に共通しているが、どの国も温暖化防止のコストは他の誰かに払ってほしいと願っている。しかも、すべての国が平等に甚大な被害を被るわけではないし、実害がでるのは数十年先の話だ。
各国の指導者は、子孫の生活を守るために現役世代にコスト負担を求める必要がある。不可能ではないが、政治家にとって魅力的な話ではない。
多国間主義から「ミニ多国間主義」へ
しかも、温暖化を防止する最善策について、いまだにコンセンサスがない。国ごとの排出削減目標に応じて国内企業に排出枠を課す「キャップ・アンド・トレード方式」を好む国もあれば、石炭や石油に課税するシンプルな「炭素税」方式を主張する国もある。
温室効果ガスの主要排出国の経済環境が大きく違う点も、問題の解決を難しくしている。温暖化の原因をつくった先進国が、今では中国やインドのような途上国に経済成長を鈍化させかねないコスト高な施策を求めている。中国やインドが嬉しくないのは言うまでもない。
どんな合意も不便で割高で検証が困難という現実を前にすると、アメリカの医療保険制度改革が比較にならないほど簡単な問題に思えてくる。
2つ目に指摘したいのは、コペンハーゲン会議の結果が、フォーリン・ポリシー誌のモイセ・ナイム編集長の主張する「ミニ多国間主義」の正しさを裏付けているという点だ。
192カ国すべての合意が取り付けられないのなら(できないのは明らかだ)、経済大国(温室効果ガスの主要排出国であり、他国を支援するリソースをもった国々)だけを集めて、何らかの合意を模索すべきだというのがミニ多国間主義の考え方。したがって肯定的に解釈すれば、会議の最終局面でメンツを保った合意は、主要国を中心としたミニ多国間主義への転換の第一歩だ。