「女を捨てて」社会に奉仕、同性愛への偏見、過剰な卑下、セックスレス......ファブ5があぶり出す日本の病
Queer Eye Comes to Japan
第2話の主人公・寛(27)は、化粧品会社で働くゲイの男性だ。日本では同性愛者に対する侮辱的表現である「オカマ」と呼ばれ、イギリス留学中には同性愛者向け出会い系サイトで「アジア系お断り」と拒絶された寛は、どちらの社会にも居場所がない気持ちを味わっている。
日本では近年、同性愛がやや受け入れられつつあるものの、政治家が同性愛を「趣味みたいなもの」とか「少子化に拍車を掛ける」と批判するなど、誤解や偏見は根強く存在する。多くの日本人は、依然として同性愛者であることを公表している人と接する際に戸惑いを感じ、同性愛はプライベートな領域にとどめておいてほしいと考えがちだ。
第3話に登場する香衣 (23)は、漫画家を夢見るイラストレーター。中学・高校 時代にいじめを受けたことが心の傷となり、今も自分に自信を持てずにいる。
日本社会に広く見られる体形コンプレックスや、やたらと自分を卑下する傾向、そして失敗を極度に避けたがる文化も、香衣の自信のなさを助長している。欧米人の目で見れば、彼女は全く太っていないが、本人は太っていて、魅力がないと思い込んでいる。
【参考記事】自分に自信がないのは克服できる、自分ひとりで(認知行動療法の手引き)
強いられた謙遜の代償
また、日本の文化では、自分の成果を語るときでさえ、自分を卑下する表現が使われる。自分を褒めたりしようものなら、自己中心的と見なされるからだ。この強いられた謙遜は、失敗することへの不安を助長する。
だから日本人は、自分が絶対自信を持てること以外は挑戦しようとしない。香衣はこの不安を象徴する存在で、漫画家になるための思い切った一歩を踏み出すことができずにいる。
香衣の自尊心が著しく低い原因の1つは、娘に言葉で「愛している」と伝えることがめったにない母親にもある。ほとんどの日本人にとって、言葉での愛情表現は異質な習慣であり、凝った弁当を作るなど、行動によって愛情を表現するほうが快適だと感じる。ファブ5は、香衣の母親が厳格過ぎると感じるが、この母親は欧米の視聴者には分からない形で愛情を表現する日本の典型的な親だと言える。
第4話の主人公・誠人 (37)はラジオ局のディレクターで、5年近くセックスレスの結婚生活を送っている。日本では、多くのカップルが夫婦関係の問題を直接話し合うことを避け、夫婦でカウンセリングを受けることもめったにない。自分たちの弱さや 欠点を他人に話すのは恥だと思うからだ。
日本では結婚は功利主義的な側面が強い。社会的プレッシャーから結婚するカップルが多く、ロマンスは割愛されがちだ。それでもファブ5は欧米的なアプローチを押し付けることなく、彼ららしいやり方で、誠人が妻との関係を立て直すのを助ける。
『クィア・アイ in Japan』は、欧米文化が日本に幅広く浸透していることをうかがわせる一方で、日本社会ならではの問題に苦しむ人々を見せることに成功している。それを見せることは、弱さを見せるべきではないと考えられている社会で、弱さを認め合う重要な一歩になるかもしれない。