アポロ計画50年 「月に挑んだ男たち」が語る人類最大の冒険
THE GREATEST ADVENTURE
チャーリー・デューク
当時 アポロ13号と17号の打ち上げ時は月着陸船パイロットの交代要員としてスタンバイした。アポロ16号で月へと飛び立ち、月の土を踏んだ10人目の人物となった。
現在 月から帰還した後、信仰に目覚めた。80年代に妻ドティーとキリスト教団体「デューク・ミニストリー・フォー・クライスト」を設立。テキサス州在住。
マイケル・コリンズ
当時 69年7月16~24日にニール・アームストロング、バズ・オルドリンと共にアポロ11号に搭乗。司令船の操縦士として、史上初の月面着陸を見守った。
現在 国務省を第2の職場に選び、国立航空宇宙博物館の館長も務めた。現在はフロリダ州で読書と運動を楽しむ生活を送り、6月にはボストン・レッドソックス戦の始球式を務めた。
アル・ウォーデン
当時 71年7月26日~8月7日にアポロ15号に搭乗し、司令船エンデバーの操縦士を務めた。
現在 NASAを75年に退職した後、科学技術の分野で特別優秀な学生を支援する「宇宙飛行士奨学金基金」の会長を11年まで務めた。自伝『地球へと落ちて』で帰還後の経験を振り返り、今も精力的に講演を行っている。フロリダ州在住。
ラッセル・シュウェイカート
当時 69年3月3 ~13日に月着陸船のパイロットとしてアポロ9号に乗り組んだ。月着陸船の有人飛行試験を行ったのは9号が初めてだった。
現在 小惑星との衝突から地球を守るため、02年に元宇宙飛行士や研究者と共に民間団体「B612財団」を立ち上げ、名誉会長を務めている。カリフォルニア州在住。
ケネディの掲げた「ゴール」に皆が協力
マイケル・コリンズ 彼(ケネディ大統領)の指示は非常に明快だった。60年代の終わりまでに月に人間を着陸させ、安全に地球に帰還させよというのだ。つまり、やらなければならないことと、それをいつやらなければならないかははっきりしていた。私たちに託された課題は、それを「どうやるか」だった。
私たちは10年間、このテーマに必死に取り組んだ。どうやって60年代末までに人類初の月面着陸を実現させるか。ケネディが言ったとおりに。
チャーリー・デューク ケネディの言葉を聞いて、私は頭を振った。「無理に決まってる。アラン・シェパードが(アメリカ初の有人宇宙)飛行でやっと宇宙空間に15分滞在できたところなのに、月に宇宙飛行士を送ろうって言うのか? ずいぶん大胆な発言だ」
私は懐疑的だった。だが国中が力を貸してくれた。翌年、私はマサチューセッツ工科大学(MIT)に通い始めたが、MITでは既にアポロの誘導航行システムの構築が始まっていた。私もそれに携わった。仕事の中で何人かの宇宙飛行士と会ったが、あれほど情熱的で前向きに「自分たちはやり遂げられる」と考えている人たちは初めてだった。その高揚した気持ちに、私も影響された。「大丈夫、私たちはやれる。成功させてみせる」とね。
ラッセル・シュウェイカート 非常に緊張感漂う時代だったが、私たちはケネディの設定した目標を達成することだけに目を向けていた。ある意味では皆が心を一つに努力していた。国で、そして世界で何が起ころうとしているのか、気付いていなかったわけではない。ケネディの掲げた目標はとても個人的なものになっていた。あくまでも私の見方だが。そうはいっても、1つの目標をみんなで共有していたのも間違いないと思う。