科学者と名乗ると「外国ではカッコいいと言われる」(一流科学者・覆面座談会)
DOCTORS IN ROUNDTABLE SESSION
ニュートン 教員の採用にあたり、IFのような数値で人物を評価して良いのかという問題は常にある。しかし自信をもって判断できる人が大学の中にはいない。IFの総得点が何ポイントか、などで判断してしまう。対外的には説明はつくかもしれないが、本当に人を見ていることになるのか。
エジソン IFはよく足切りとしては使われますよね。落とすには理由がいるので、その理由にIFがなりうる。だから論文の共著者として名前を載せてもらうことが重要になる。学生の時、指導教授の忖度で自分のプロジェクトに知らない人の名前がずらずら載った時があった(笑)。
ニュートン 結局、研究者の経歴は「見てくれ」が重要なので、星(責任著者の印)が付いた論文の数で「武装」しろとはよく言われる。
被引用数の信頼度
エジソン 被引用数も評価されるには重要ですね。昇進するときに「お前が来ると(学部や研究科)全体の被引用数の平均が下がっちゃう」などと言われるので。そのためにどう武装するかというと、流行り物を研究して被引用数を稼ぐ。全然興味ないけどその研究やらざるを得ないということはある。
ダーウィン 被引用数は間違った使われ方をしていると思う。そもそも研究者がその分野に多かったら被引用数は増えるので、異なる分野の引用数を比べるのは意味がない。
学部・研究科の平均値なんて全くナンセンス。野球とサッカーを比べるようなもの。分野内で比べるのは一定の意味があると思うが、それでも良い論文の引用数が多くなるわけでは必ずしもない。
財務省と政治家の罪
ニュートン 一方で日本はアメリカや世界を見習えという考えが強過ぎる。日本が世界でリードしていた部分が世界ではやらなくなったから捨てちゃうということが結構あるので、いま沈滞気味の分野にも一定のお金はまいておくべきじゃないのかな。
エジソン 半導体の世界などまさにそんな感じですよね。
ガリレオ 一つは(予算配分に決定権を持つ)財務省だよね。文科省の人は結構分かってくれるけど。財務省の人は半導体なんか中韓に任せたらいいじゃないですかなんて言う。世界の流れに乗ることしか考えていない。日本の本来の強みだとかここを伸ばすべきだとかいう考えはない。
ニュートン 財務省あたりのトップクラスの官僚は国家公務員試験の予備校で訓練を受けてきた人たちで、サイエンスをやって来た人間が入る余地はない。その弊害は大きい。
エジソン 科学技術専門の政治家も絶対必要ですね。国民のそういう認識をつくるための努力をわれわれ大学人はやらなきゃいけない。
文系/理系という分け方の不毛
ガリレオ そもそも日本の文系理系という分け方が非常に気に入らない。下手したら中学生ぐらいから分けちゃっているでしょ? あれは不毛だよね。結局文系の官僚とか政治家が全くサイエンスを分からないのはそのへんでもう理系から離れてしまうから。
アメリカのハーバード大学だったら学部関係なしにこの200冊読めというリストがあって、物理をやる人間でもギリシャ哲学から『資本論』まで全部読ませる。そういう考え方が、まさに教養なんだけど、日本は全部捨て去ってしまった感じがするよね。アメリカでも文系理系はあるのだろうけど、日本から見て遥かに相互乗り入れしている気がする。