「輪島復興」に立ち上がる若者たちの声を聞け――過疎高齢化の奥能登で、人を動かし旗振り役を務める勇者たち
Seeds For the Recovery
限界集落に移住した30代
輪島市には、ほかにも「わくわく」を原動力に復興への道筋を描き始めている地域がある。輪島市中心部から車で30分ほど、日本海に面した棚田が国指定文化財名勝に指定されている「白米千枚田」の先にある、人口1805人の輪島市町野町。
この町を盛り上げようと精力的に動いているのが、町の集落の1つ、50世帯強が点在する金蔵地区で米作りに従事する山下祐介(38)だ。
金沢出身の山下は8年前の16年に金蔵に移住し、米農家に転身した。転機が訪れたのは今から10年前。山下は幼い頃から年に4回、金蔵に住む祖父母の元を訪れ田植えや稲刈りを手伝っていたが、祖父が14年に入院し稲作を続けられなくなった。
「超高齢化の地域なので、誰かに田んぼをお願いしてもきっと10年後には難しくなる。地元でもおいしいと評判の金蔵の米と、自分が好きなこの景観がなくなってしまうのはもったいない」。当時、金沢大学法科大学院を出て司法試験の勉強をしていた山下はそう思い、ならば自分がやればいいと覚悟を決めた。
金蔵地区は、能登の里海里山と言われる日本の原風景が広がる一方で、住民はほぼ60歳以上という過疎高齢化の限界集落でもある。山下は移住後、周りの先輩たちの助けを借りつつ手探りで米を作り、米粉100%のベーグル専門店を開業したところに被災。自宅は半壊した。
町野町は一時、道路が寸断され多くの集落が孤立した。しかし山下は、「まだ水道なんてどこも来ていない、俺んち電気ついたぞと言う人がようやく出てきた2月頭」に、地域では若手とされる50代以下の仲間数人で「町野復興プロジェクト実行委員会(通称:町プロ)」を立ち上げた。
住民たちに思っていることを何でも書いてほしいというアンケートを配ったところ、聞こえてきたのは過疎高齢化への不安だった。
「若い人がいなくなるというのは地震前からさんざん言われていたが、地震が起きた瞬間に、本当にいなくなった感覚に陥った。危機が一気に顕在化した」と山下は言う。
発災直後は何も楽しいことがなく、娯楽もないし笑顔もない。1日でもいいから笑える日がないと駄目だと考えた山下たちは、4月に花見をする「桜フェス」を企画する。
場所と時間だけ決めて、地元の飲食店にも協力してもらって開催したところ、住民たちが次々集まり、「あんた久しぶり、あんたも久しぶりって感じで、すごく盛り上がった」。
山下は言う。「これからの復興を考えるときに、机に座って『町の将来を考える会』をやってもたいてい人は集まらない。じゃあ若い人が来たくなる町って何だろうって考えたら、わくわく楽しい町だった」
復興は、やってみながら考える。そう思い至った山下たちは、その後も立て続けにイベントを開催した。
炊き出しをバーベキューに変えて「肉フェス」をやれば高齢者含め延べ800人が集まり、映画館が存在しない奥能登で土曜夜に野外映画上映会を開催したら、映画を真面目に見ている人と、走り回る子供たちと、酒を酌み交わす年配層がいる、映画館にはない面白い空間が生まれた。
山下に言わせれば、「復興計画を作ることは必須ではない」。それは目標ではなく過程であるはずだ。「いろんなことを仕掛けて、みんなが楽しかったことや、こうしたほうが良かったという理想の積み重ねの先に、住みたい町のイメージが出来上がっていく」。
そうした復興の先に、どんな未来が待っているのか。それを示した例が、東日本大震災の被災地にある。