「3分過ぎても歌が始まらない!」 あなたは『プログレ』を知っていますか?
バックのドラムやベースの演奏は相変わらず奇妙(下手くそという意味ではない。たぶんものすごく上手だと思う)だし、どういう楽器なのか知らないが「ピヨピヨピヨピヨピコピコピコピコ」という音がずっと背後で鳴り続けている。
こうしてテーマらしき歌が終わると、今度は荘重なオルガンをバックにゆっくりした歌が始まった。さっきのテーマらしき歌のバリエーションのようである。この部分は主旋律とコーラスの掛け合いがとてもきれいだ。
鍵盤楽器が高らかに響きわたってこのパートが終わると、再びフルバンドの演奏に突入し、最初に聞いた「歌」(要はこの曲のたった一つの歌である)が、もう一度リズムを変えて演奏される。さっきよりもっともっと速く、もっともっと強くだ。
そうして最後の最後に、背筋が震え胸がキューッとうずく瞬間が訪れた。疾走してきたリズムがぐぐぐぐぐっとゆるんだかと思うと、曲全体のなかでもっとも親しみやすく、切なく、甘酸っぱいサビのメロディが、これまでになく鮮烈なコーラスを伴い再現されたのだ。
その心地よさをどのように表現すればいいだろう。
真夜中に高い高い岩壁を登っていって満天の星をいだく頂上に頭をつっこみ見上げた瞬間の達成感とでも言おうか。高い高い滝の上からはるか眼下の滝つぼに向かって身を投じた刹那の浮遊感とでも言おうか。ともかく、レコードに針を下ろしてから20分近くかけて溜めに溜めてきた何物かが解き放たれる、信じがたい快感だった。
あまりのカタルシスに腰がくだけたようになっていると、音楽は冒頭と同じ、鳥のさえずりと川のせせらぎの音に包まれて終息した......。
ただただ「かっこいい」と繰り返した
私はしばし、言葉を失っていた。
「かっこいいだろう」
「うん、かっこいい! かっこいい!」
「そうだ、かっこいいんだ」
「かっこいいなあ。かっこいいなあ」
まるでバカだが、今どきの若者が何にでもかんにでも簡単に付ける「超」だの「すっげー」だの「やばい」や「くそ」(何と誉め言葉として使っている)だのの形容詞を持たない2人は、ただただかっこいいかっこいいと繰り返すのだった。
アルバムの内ジャケットには、広大な湖から青々とした清流が下界に流れ落ちる、この世のものとは思えない美しい景色が描かれていた。裏表紙には、5人のバンドメンバーとプロデューサーという肩書きの人物の写真が印刷されており、これがまた6人が6人ともかっこよかった。少女マンガで描かれる白馬に乗った王子様並みにハンサム揃いな上に、着ている服も、ポーズも、そしてまた「リック・ウェイクマン」とか「ビル・ブラッフォード」といった彼らの名前も。ともかく何もかもがかっこよかった。
翌日さっそくレコード店に走った
翌日、さっそく私はレコード屋に行って、そのアルバム『危機』("Close To The Edge" 1972年。イエスの第5作。「危機」はそのタイトル曲、18分45秒)を買った。以来、文字通り擦り切れるまで、レコードをかけすぎてパチパチパチというノイズだらけになるまで聴いて、後年もう1枚同じレコードを購入することになる(そのあとCDも何枚も買いました)。
「N君、イエスには本当にまいった。もっとプログレのレコードを聴かせてくれ、頼む」
プログレッシヴ・ロック(Progressive Rock)が「進歩的なロック」を意味することは辞書を引いて確認していた。プログレと縮めて呼ぶのがいかにも通らしくてかっこいい。友人Nには2つ違いの兄がいて、今から思えば田舎の高校生にしてはなかなかにませていたのだろう、プログレをはじめ外国のロックのレコードをたくさん持っていた。N君というより正確にはN君の兄が、私の運命を変えた恩人なのである。
以上が、48年前のあの日、初めて「危機」を聴いた時の記憶である。驚くべきことに、この曲が私に与えてくれる「心地よさ」は、あれから数えきれないほど聴いてきた今でもそれほど変わっていない(さすがに「驚き」だけはなくなったのだが、それでも聴くたびに何かしらの発見がある)。