『サカナとヤクザ』のライター、ピアノ教室に通う──楽譜も読めない52歳の挑戦
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<外出制限下の世界各地で、音楽が人々を元気づけている。そんな今こそ楽器を始めてみてはどうだろう。ここに、50代を迎えてからピアノを始めた男がいる。暴力団取材で知られる鈴木智彦氏だ(前編)>
外出ができず、ストレスが溜まる毎日の中で、音楽はいつだって荒みがちな心を癒す最良の友である。
いま世界中の外出が制限されている地域では、市井の老若男女が歌い、あるいは楽器を奏でる動画をシェアし、プロの演奏家たちが無償でオペラやコンサートを配信したりしている。音楽が人々を元気づけている。
聴いたり、歌ったりすることはもちろん、さらには自らの手で楽器を演奏できたらどんなに気持ちがいいだろう。実際、コロナ禍のさなかで長く眠らせていた楽器を再開する人や、新しく楽器を始めてみようという人も増えているという。
とはいえ、やってみたいけれど、大人になってから楽器を始めても、ものにならないのでは? と躊躇する人が多いのもまた事実だろう。
昨年のベストセラー『サカナとヤクザ――暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)、そして『ヤクザと原発――福島第一潜入記』(文春文庫)『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)などの硬派なルポで知られる、暴力団取材の第一人者でありノンフィクション作家の鈴木智彦氏は52歳になってからピアノを習い始めた。
子供時代からピアノを習っている級友たちがうらやましかったが、楽譜も読めないまま大人になった。日々の多忙で、ピアノを弾いてみたいという気持ちはいつしか封じられてきた。しかし、ある一本の映画が人生を変える。
鈴木氏の新刊『ヤクザときどきピアノ』(CCCメディアハウス)は、熱に憑かれたようにピアノ教室の戸を叩き、ついには発表会でABBAのヒット曲『ダンシング・クイーン』を演奏するまでの1年と少しの記録である。
鈴木氏は言う。「遅く始めたからといって、俺たちは、なにも失っちゃいない。まだなにもしてねぇのに、へこむことないじゃん。はやいよ・笑」
一歩が踏み出せない人の背中をコミカルに押してくれる『ヤクザときどきピアノ』――その冒頭を2回に分けて、抜粋し掲載する。
まえがき
ずっとピアノを弾きたかった。
教会の日曜学校で賛美歌の伴奏をするシスターが羨ましかった。弾かせて欲しいと懇願したのは、白鍵が神の、黒鍵が悪魔の歌を弾くための音階と思ったからだ。礼拝堂に忍び込むと、壁際の十字架下に置かれたアップライト・ピアノの黒い鍵盤蓋は施錠されていた。その夜、体中に発疹が出て高熱を出し、救急車で運ばれた。診断は猩紅熱(しょうこうねつ)で、当時は法定伝染病だったため、そのまま約二週間の隔離・入院となった。
小学校の授業ではピアニカを習い、学芸会で『ハンガリア舞曲第五番』を演奏した。同じ鍵盤楽器なのに、ピアノを習っている女子児童が特権階級扱いで妬ましかった。とある放課後、またも音楽室に忍び込み、憧れのピアノの前に座ってみたところ、ピアニカとは異質の緻密な手触りに気圧された。職人たちが木と羊毛と鋼で組み上げたピアノという機械は、音楽と対話する決意のない者が触れてはいけないような荘厳さをまとっていた。