最新記事

音楽

『サカナとヤクザ』のライター、ピアノ教室に通う──楽譜も読めない52歳の挑戦

2020年4月20日(月)11時55分
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

Yanyong-iStock.

<外出制限下の世界各地で、音楽が人々を元気づけている。そんな今こそ楽器を始めてみてはどうだろう。ここに、50代を迎えてからピアノを始めた男がいる。暴力団取材で知られる鈴木智彦氏だ(前編)>

外出ができず、ストレスが溜まる毎日の中で、音楽はいつだって荒みがちな心を癒す最良の友である。

いま世界中の外出が制限されている地域では、市井の老若男女が歌い、あるいは楽器を奏でる動画をシェアし、プロの演奏家たちが無償でオペラやコンサートを配信したりしている。音楽が人々を元気づけている。

聴いたり、歌ったりすることはもちろん、さらには自らの手で楽器を演奏できたらどんなに気持ちがいいだろう。実際、コロナ禍のさなかで長く眠らせていた楽器を再開する人や、新しく楽器を始めてみようという人も増えているという。

とはいえ、やってみたいけれど、大人になってから楽器を始めても、ものにならないのでは? と躊躇する人が多いのもまた事実だろう。

昨年のベストセラー『サカナとヤクザ――暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)、そして『ヤクザと原発――福島第一潜入記』(文春文庫)『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)などの硬派なルポで知られる、暴力団取材の第一人者でありノンフィクション作家の鈴木智彦氏は52歳になってからピアノを習い始めた。

子供時代からピアノを習っている級友たちがうらやましかったが、楽譜も読めないまま大人になった。日々の多忙で、ピアノを弾いてみたいという気持ちはいつしか封じられてきた。しかし、ある一本の映画が人生を変える。

鈴木氏の新刊『ヤクザときどきピアノ』(CCCメディアハウス)は、熱に憑かれたようにピアノ教室の戸を叩き、ついには発表会でABBAのヒット曲『ダンシング・クイーン』を演奏するまでの1年と少しの記録である。

鈴木氏は言う。「遅く始めたからといって、俺たちは、なにも失っちゃいない。まだなにもしてねぇのに、へこむことないじゃん。はやいよ・笑」

一歩が踏み出せない人の背中をコミカルに押してくれる『ヤクザときどきピアノ』――その冒頭を2回に分けて、抜粋し掲載する。

◇ ◇ ◇

まえがき

ずっとピアノを弾きたかった。

教会の日曜学校で賛美歌の伴奏をするシスターが羨ましかった。弾かせて欲しいと懇願したのは、白鍵が神の、黒鍵が悪魔の歌を弾くための音階と思ったからだ。礼拝堂に忍び込むと、壁際の十字架下に置かれたアップライト・ピアノの黒い鍵盤蓋は施錠されていた。その夜、体中に発疹が出て高熱を出し、救急車で運ばれた。診断は猩紅熱(しょうこうねつ)で、当時は法定伝染病だったため、そのまま約二週間の隔離・入院となった。

小学校の授業ではピアニカを習い、学芸会で『ハンガリア舞曲第五番』を演奏した。同じ鍵盤楽器なのに、ピアノを習っている女子児童が特権階級扱いで妬ましかった。とある放課後、またも音楽室に忍び込み、憧れのピアノの前に座ってみたところ、ピアニカとは異質の緻密な手触りに気圧された。職人たちが木と羊毛と鋼で組み上げたピアノという機械は、音楽と対話する決意のない者が触れてはいけないような荘厳さをまとっていた。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ユーロ、対ドルで約7週間ぶり高値 好

ワールド

米特使・プーチン氏会談、「まずまず良い」協議だった

ワールド

ドイツ、防空システム「アロー」導入 ロシアの脅威に

ビジネス

米国株式市場=続伸、指標受け利下げ観測継続 マイク
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇気」
  • 2
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与し、名誉ある「キーパー」に任命された日本人
  • 3
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させられる「イスラエルの良心」と「世界で最も倫理的な軍隊」への憂い
  • 4
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 5
    【クイズ】日本で2番目に「ホタテの漁獲量」が多い県…
  • 6
    台湾に最も近い在日米軍嘉手納基地で滑走路の迅速復…
  • 7
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 8
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 9
    トランプ王国テネシーに異変!? 下院補選で共和党が…
  • 10
    トランプ支持率がさらに低迷、保守地盤でも民主党が…
  • 1
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 2
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 3
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 4
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 5
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 6
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 7
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果の…
  • 8
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 9
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 10
    子どもより高齢者を優遇する政府...世代間格差は5倍…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 4
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 5
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 6
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 7
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 8
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 9
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中