最新記事

海外ノンフィクションの世界

子どもの痙攣には「鳩の尻」が効く(でも鳩は死ぬ)──奇妙な医学事件簿

2019年5月30日(木)18時50分
日野栄仁 ※編集・企画:トランネット

笑う人間がいて、笑われても許す人間がいる

ところで本書には、有益な知識や教訓などは書かれていない。そういうわけだからここでは、本書がいかに役に立たないかを紹介しておこう。

例えば、ガチョウの喉を呑み込んでしまったという子どもの話があるが、これはそうなるまでの過程が面白い。何でもガチョウの喉を笛代わりにして遊ぶのが子どもたちの間で流行っていて、それを何かの拍子で呑み込んでしまったというのだ。こんな奇習を作り出してしまうとは、まさに恐るべき子どもたちである。

子どもだけではない。「才覚ある医学研究者」であるフランチェスコ・シアレンティ氏は、胃の病気を治すために患者に動物の胃液を飲ませていたというのだ。こんな奇想を思いついてしまえるとは、人間の可能性について考えさせられるエピソードである。

さて、こんなエピソードが目白押しの本書が何かの役に立つかと言えば、それは大いに怪しい(読者が本書で主役を張るようなタイプの人であれば、話が別かもしれないが)。著者はそうした逸話の珍妙さを茶化すが、本書自体がそのような無駄と奇態の塊のようにも思える。おかしな言い方になるが、それはこの本が茶化している当の相手に似ようとしている、ということでもある。

これは別に不名誉なことではない。笑う人間がいて、笑われても許す人間がいる。そうでなければ生まれにくい笑いもあるだろうからだ。そもそも笑われるのが我慢ならない暴君相手には、「王様は裸だ」と叫ぶことはできない。うまく笑われる、というのもこれはこれで大事なことではないか。

印象的なセンテンスを対訳で読む

以下は『爆発する歯、鼻から尿』の原書と邦訳からそれぞれ抜粋した。

●'Cigarettes Mercurielles. Bichloride of mercury, 4 centigrammes; extract of opium, 2 centigrammes; tobacco deprived of its nicotine, 2 grammes.' These cigarettes are recommended in syphilitic ulcerations of throat, mouth, and nose.
(「水銀タバコ。塩化水銀(Ⅱ)四十ミリグラム、アヘンのエキス二十ミリグラム、ニコチンを抜いたタバコ二グラム」。喉や口や鼻にできた梅毒性潰瘍にはこれが良いとのことだ)

――水銀タバコの製法。何と19世紀に行われていた治療法である。そもそも健康のためにタバコが奨励されていた一時期があったということだ。現在の常識と照らし合わせてみると、世の中の変化というものをまざまざと思い知らされる。

●It would be foreign to my purpose to detail here the various animals I put in requisition in the course of this investigation, or the animal products I examined during a prolonged inquiry. It is enough to state that I found in the excreta of reptiles agents of great medical value in numerous disease where much help was needed.
(長きにわたる探求の過程で調べることになった動物や動物から産出される物体の一々をあげつらうのは、目的から外れることになる。ここでは爬虫類の糞が、非常に多様な病気に効く薬剤になるとだけ言っておけば十分だろう。まさに助けが必要とされていた分野だ)

――尾籠(びろう)な話で恐縮である。これも19世紀の医師が考案したという治療法で、引用はその医師の著書からのもの。きっと当時この医者にかかった患者も困惑したことだろう。

●His work requires him to rise early, and on one occasion after striking a match to see the time, and when holding it near his mouth, an eructation of gas from the stomach took place. To his consternation the gas took fire, burned his face and lips considerably, and set fire to his moustache.
(彼は仕事柄早起きだった。あるとき、時計を見ようとマッチをすり、それを口もと近くに持っていたのだが、おくびが出た。そこで彼は驚愕の事態に立ち至ることになる。胃から放出されたガスに火がついたのだ。顔と唇には相当の火傷を負うことになったし、口ひげにも火がついた)

――恐らく本書でも指折りの鮮烈な記述。20世紀前半には同種の事例が、いくつも確認されているというから、世の中何があるか分からない。この本では同じ症状の人間が3人紹介されているが、そばにいた人間の驚きは如何ばかりか。

◇ ◇ ◇

時に突拍子もないことを思いつく人間がいて、それが大なり小なり常識としてまかり通ってしまう、という事態はいつ、どこででも起こり得る。だからこそ「王様は裸だ」と叫ぶのは大事なのだろうし、そこから引き起こされる笑いも貴重なのだろうが、それは笑いを許容する態度が前提となる。

少なくとも、そういう態度のほうが好ましいことは確かだ。本書を読めば肩の力も抜けて、大らかな気持ちになれるかもしれない。

trannet190530medicine-book.jpg『爆発する歯、鼻から尿
――奇妙でぞっとする医療の実話集』
トマス・モリス 著
日野栄仁 訳
柏書房

トランネット
出版翻訳専門の翻訳会社。2000年設立。年間150~200タイトルの書籍を翻訳する。多くの国内出版社の協力のもと、翻訳者に広く出版翻訳のチャンスを提供するための出版翻訳オーディションを開催。出版社・編集者には、海外出版社・エージェントとのネットワークを活かした翻訳出版企画、および実力ある翻訳者を紹介する。近年は日本の書籍を海外で出版するためのサポートサービスにも力を入れている。
https://www.trannet.co.jp/

ニューズウィーク日本版 脳寿命を延ばす20の習慣
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年10月28日号(10月21日発売)は「脳寿命を延ばす20の習慣」特集。高齢者医療専門家・和田秀樹医師が説く、脳の健康を保ち認知症を予防する日々の行動と心がけ

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら



今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

ムーディーズ、フランスの見通し「ネガティブ」に修正

ワールド

米国、コロンビア大統領に制裁 麻薬対策せずと非難

ワールド

再送-タイのシリキット王太后が93歳で死去、王室に

ワールド

再送-トランプ米大統領、日韓などアジア歴訪 中国と
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:脳寿命を延ばす20の習慣
特集:脳寿命を延ばす20の習慣
2025年10月28日号(10/21発売)

高齢者医療専門家の和田秀樹医師が説く――脳の健康を保ち、認知症を予防する日々の行動と心がけ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    超大物俳優、地下鉄移動も「完璧な溶け込み具合」...装いの「ある点」めぐってネット騒然
  • 2
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した国は?
  • 3
    「宇宙人の乗り物」が太陽系内に...? Xデーは10月29日、ハーバード大教授「休暇はXデーの前に」
  • 4
    シンガポール、南シナ海の防衛強化へ自国建造の多任…
  • 5
    為替は先が読みにくい?「ドル以外」に目を向けると…
  • 6
    「信じられない...」レストランで泣いている女性の元…
  • 7
    ハーバードで白熱する楽天の社内公用語英語化をめぐ…
  • 8
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 9
    「ママ、ママ...」泣き叫ぶ子供たち、ウクライナの幼…
  • 10
    【ムカつく、落ち込む】感情に振り回されず、気楽に…
  • 1
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 2
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号返上を表明」も消えない生々しすぎる「罪状」
  • 3
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
  • 4
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 5
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 6
    超大物俳優、地下鉄移動も「完璧な溶け込み具合」...…
  • 7
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 8
    【2025年最新版】世界航空戦力TOP3...アメリカ・ロシ…
  • 9
    本当は「不健康な朝食」だった...専門家が警告する「…
  • 10
    「ママ、ママ...」泣き叫ぶ子供たち、ウクライナの幼…
  • 1
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 2
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 3
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 4
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 5
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 6
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 7
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 8
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中