北斎は幽霊っぽさを出すために子供の頭蓋骨を使った【名画の謎を解く】
撮影:原島広至
<解剖学は名画・彫刻に対する新たな洞察を与えてくれる。例えば、葛飾北斎の幽霊画『百物語 こはだ小平次(小平二)』は、アゴと頭蓋骨に何やら違和感を覚えるが、それは何を意味するのか>
絵画の鑑賞は、一つの謎解きである。なぜこの人物が描かれているのか、なぜこの姿勢なのか、なぜ背景にこれが描かれているのか、なぜ画中の人物の服はこの色なのか? 画家はそのキャンバスに様々な思いを込めて描くが、その解き明かしを言葉としてはあまり残していない。
それらを探るには、その絵のテーマの背景となっている人間関係や、歴史的な背景、また画家の生涯に関する情報などが助けになる。そして、時として「解剖学」に関する知識も、絵を分析するのに良い道具となる。
筆者は『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』(CCCメディアハウス)で、解剖学から見なければ洞察しえなかった名画・彫刻に関する新たな着眼点を、豊富な図解によって説明した。この本の中から3つの話を取り上げ、3回に分けて掲載する。
【名画の謎を解く】
※第2回:モデルの乳がんを、レンブラントは意図せず描いた
※第3回:500年間誰も気づかなかったダビデ像の「目の秘密」
浮世絵師「葛飾北斎」のゆかりの地に建つ「すみだ北斎美術館」には、幽霊を描いた一枚の浮世絵が展示されている。葛飾北斎作『百物語 こはだ小平次(小平二)』(1833年頃)である。この作品、解剖学的に見ると実に興味深い。
まずはこの浮世絵について概説しよう。こはだ(小幡)小平次とは、怪談物に登場する歌舞伎役者。演技が下手で一向にうだつが上がらず、端役の幽霊役を与えられたところ、幽霊顔をしていた上に幽霊の演技が絶妙だったために、ようやく人気が出てきた。
小平次の妻のお塚は毒婦で、鼓打ちの左九郎(佐九郎)と密通していて、左九郎に旦那の小平次を殺すようにけしかけた。左九郎は小平次を釣りに誘い出し、船から突き落として溺死させる。
しかし、お塚の家に行った左九郎の前に、本当の幽霊となった小平次が現れた。しかも、芝居で演技していた幽霊そのままの姿で。左九郎は狂い死にし、お塚は指が腐って非業の死を遂げた。江戸時代には、女の幽霊といえばお岩さん、男の幽霊といえば小平次と呼ばれたほど有名な話だった。
恨めしそうに上目遣いしている両目がややユーモラスだが、夜中に蚊帳を押し下げてこんな顔が現れてきたら、さぞ驚くことだろう。
少しこの絵の細かいところを観察しよう。ヒトの下顎骨(アゴの骨)は、水平部分の「下顎体」と垂直に伸びる「下顎枝(かがくし)」からなる。小平次の下顎枝は極めて小さく、下顎体もかなりきゃしゃである。成人ならば下顎枝がもっと大きく、下顎体はもっと高さがあるはずである。図で示すと下のようになる。
幽霊の頭蓋骨全体のプロポーションは成人のものに見えるし、そもそも幽霊の小平次は成人である。しかし、下顎骨だけはどうも新生児や小児のものである。