最新記事

解剖学

北斎は幽霊っぽさを出すために子供の頭蓋骨を使った【名画の謎を解く】

2019年3月15日(金)10時35分
原島広至

北斎は西洋の解剖をいち早く学んでそれを絵に活かした人物である。彼が小児の下顎骨と成人の下顎骨を「間違えて」描くとは考えにくい。もしかすると北斎は「意図的に」下顎骨だけは小児のものを参考にして描き、幽霊っぽい線の細さを表現していたという可能性はないだろうか。

meigabook190315-4.jpg

画像:すみだ北斎美術館、Shutterstock.com

実はこの幽霊の頭蓋骨、他にもいろいろと面白い点がある。次にこの頭蓋骨のてっぺんの部分に注目しよう。

実は、胎児や新生児の前頭骨は左右2つに分かれている

葛飾北斎の描いた『百物語 こはだ小平次(小平二)』の頭蓋骨は、後ろの頭髪が残り、頬筋や側頭筋などの一部が付いており、腐敗が進行している様子がリアルに描写されている。つまり、乾ききった「しゃれこうべ」ではない生々しさが描写されている。

ところで、この幽霊の頭頂部は、市松模様のように濃淡のある骨が交互に配置されている。しかし、解剖学をご存知の方であれば、この頭蓋骨に違和感を覚えるに違いない。額の部分の「前頭骨」が左右に分かれているのである。普通は前頭骨は左右に分かれずに一つにつながっている。ここで、真ん中に走っているギザギザの線を「前頭縫合」という。

実は胎児や新生児の頃はだれしも、前頭骨は左右2つに分かれているのだが、生後3年頃までに2つの骨は癒合して前頭縫合は消えてしまう。

胎児や新生児の頭蓋骨では前頭骨、頭頂骨、側頭骨、後頭骨の境には隙間があり、北斎のこの版画に見られるように縫合線が入り組んではいない。特に2つの前頭骨と2つの頭頂骨の接する付近の大きな隙間は「大泉門」という。これらの骨同士の隙間には重要な意味があり、誕生時に骨が少し重なることで、狭い産道の通過を可能にしている。

meigabook190315-5.jpg

新生児の頭蓋骨(画像:Shutterstock.com)

成人の頭蓋骨では前頭縫合はあまり見られないため、こうした頭蓋骨は珍しい。前頭縫合のある頭蓋骨は上から見ると縫合線が十字に見えるため「十字頭蓋(じゅうじとうがい)」ともいう。ある統計では十字頭蓋の成人はヨーロッパ人では約9%、アジア人では約5%なので、ヨーロッパ人の方が十字頭蓋の比率が大きい。

北斎がこの版画を作る際、参考にした頭蓋骨がたまたま十字頭蓋であったという可能性がある。北斎が実物を見ずに西洋の解剖学書だけに頼って描いていたなら、標準的な頭蓋骨を描いていたはずである。しかし、北斎が十字頭蓋を描いていたことから、間接的な証拠ではあるが、実物の標本を見て描いており、しかも市松模様に色付けすることによってその違いも意識していたことが見て取れる。

ところで、余談だが、チェコの都市クトナー・ホラにあるセドレツ納骨堂は、約1 万人分の骨を用いた内装が有名だ。これほど大量の頭蓋骨があると、ところどころに十字頭蓋も見られる。

meigabook190315-6.jpg

セドレツ納骨堂の頭蓋骨(画像:Shutterstock.com)

次回はレンブラントの作品『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』(1654年)に描かれた乳房から読み解く。

【名画の謎を解く】
※第2回:モデルの乳がんを、レンブラントは意図せず描いた
※第3回:500年間誰も気づかなかったダビデ像の「目の秘密」


名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?
 原島広至 著
 CCCメディアハウス

meigabook190315-page1-b.jpg

『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』42~43ページ

meigabook190315-page2-b.jpg

『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』44~45ページ

meigabook190315-page3-b.jpg

『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』46~47ページ

ニューズウィーク日本版 世界最高の投手
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年11月18日号(11月11日発売)は「世界最高の投手」特集。[保存版]日本最高の投手がMLB最高の投手に―― 全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の2025年

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

米ディズニー、第4四半期売上高は予想に届かず 26

ワールド

ウクライナ、いずれロシアとの交渉必要 「立場は日々

ビジネス

米経済「まちまち」、インフレ高すぎ 雇用に圧力=ミ

ワールド

EU通商担当、デミニミスの前倒し撤廃を提案 中国格
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 3
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前に、男性が取った「まさかの行動」にSNS爆笑
  • 4
    「水爆弾」の恐怖...規模は「三峡ダムの3倍」、中国…
  • 5
    中国が進める「巨大ダム計画」の矛盾...グリーンでも…
  • 6
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 7
    ファン激怒...『スター・ウォーズ』人気キャラの続編…
  • 8
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 9
    「ゴミみたいな感触...」タイタニック博物館で「ある…
  • 10
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 7
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 8
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 9
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 10
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中