北斎は幽霊っぽさを出すために子供の頭蓋骨を使った【名画の謎を解く】
北斎は西洋の解剖をいち早く学んでそれを絵に活かした人物である。彼が小児の下顎骨と成人の下顎骨を「間違えて」描くとは考えにくい。もしかすると北斎は「意図的に」下顎骨だけは小児のものを参考にして描き、幽霊っぽい線の細さを表現していたという可能性はないだろうか。
実はこの幽霊の頭蓋骨、他にもいろいろと面白い点がある。次にこの頭蓋骨のてっぺんの部分に注目しよう。
実は、胎児や新生児の前頭骨は左右2つに分かれている
葛飾北斎の描いた『百物語 こはだ小平次(小平二)』の頭蓋骨は、後ろの頭髪が残り、頬筋や側頭筋などの一部が付いており、腐敗が進行している様子がリアルに描写されている。つまり、乾ききった「しゃれこうべ」ではない生々しさが描写されている。
ところで、この幽霊の頭頂部は、市松模様のように濃淡のある骨が交互に配置されている。しかし、解剖学をご存知の方であれば、この頭蓋骨に違和感を覚えるに違いない。額の部分の「前頭骨」が左右に分かれているのである。普通は前頭骨は左右に分かれずに一つにつながっている。ここで、真ん中に走っているギザギザの線を「前頭縫合」という。
実は胎児や新生児の頃はだれしも、前頭骨は左右2つに分かれているのだが、生後3年頃までに2つの骨は癒合して前頭縫合は消えてしまう。
胎児や新生児の頭蓋骨では前頭骨、頭頂骨、側頭骨、後頭骨の境には隙間があり、北斎のこの版画に見られるように縫合線が入り組んではいない。特に2つの前頭骨と2つの頭頂骨の接する付近の大きな隙間は「大泉門」という。これらの骨同士の隙間には重要な意味があり、誕生時に骨が少し重なることで、狭い産道の通過を可能にしている。
成人の頭蓋骨では前頭縫合はあまり見られないため、こうした頭蓋骨は珍しい。前頭縫合のある頭蓋骨は上から見ると縫合線が十字に見えるため「十字頭蓋(じゅうじとうがい)」ともいう。ある統計では十字頭蓋の成人はヨーロッパ人では約9%、アジア人では約5%なので、ヨーロッパ人の方が十字頭蓋の比率が大きい。
北斎がこの版画を作る際、参考にした頭蓋骨がたまたま十字頭蓋であったという可能性がある。北斎が実物を見ずに西洋の解剖学書だけに頼って描いていたなら、標準的な頭蓋骨を描いていたはずである。しかし、北斎が十字頭蓋を描いていたことから、間接的な証拠ではあるが、実物の標本を見て描いており、しかも市松模様に色付けすることによってその違いも意識していたことが見て取れる。
ところで、余談だが、チェコの都市クトナー・ホラにあるセドレツ納骨堂は、約1 万人分の骨を用いた内装が有名だ。これほど大量の頭蓋骨があると、ところどころに十字頭蓋も見られる。
次回はレンブラントの作品『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』(1654年)に描かれた乳房から読み解く。
【名画の謎を解く】
※第2回:モデルの乳がんを、レンブラントは意図せず描いた
※第3回:500年間誰も気づかなかったダビデ像の「目の秘密」
『名画と解剖学――『マダムX』にはなぜ鎖骨がないのか?』
原島広至 著
CCCメディアハウス
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