時間が足りない現代に、「映画・ドラマ見放題」メディアが登場する意味
だから「見放題」といわれても、「見る時間がないからなぁ......」とつい消極的になってしまうのである。
ただし、実はこの「時間がない」という部分にこそ重要なポイントがあるのだろう。なぜなら「足りない時間」をどう利用するかは、私だけではなく、現代人にとっての普遍的な問題であるはずだからだ。
思い出したのは、80年代のビジネス誌にあった提案記事のこと。「時間のないビジネスマンのためのライフスタイル」みたいなその特集のなかに、「見たい番組はビデオに録画し、(時間短縮のため)早送りでチェックしよう」というようなことが書かれていたのだ。「そこまでするかなぁ」ってな感じで思わず笑ってしまったのだが、そんなことすら記事になってしまうという事実にも、「なかなか解決できないメディアと時間との関係」が表れている気がする。
その時代から問題になっていたメディアと時間との関係だが、ここへ来て、好きな時間に好きな番組を見ることのできるVOD(ビデオ・オン・デマンド)の登場である。少なくとも録画するなどという行為は不要になるし、ネットで見られるわけだから、自宅のテレビの前に座って見る必要もなくなる。そこに、本書が訴えかける重要なポイントがある。
ネットフリックスのヘイスティングス氏は「インターネットテレビは、エンターテインメントにおける大きなブレークスルーだ。いまやBBCやHBOなどの世界の各放送局も、既存のテレビからネットテレビへの移行を加速している。テレビの世界がオン・デマンド型に変わっていくのは大きな流れである」と話す。事実その通り、世界の放送事業者は、放送+ネットでの配信、というモデルに流れている。(71ページより)
私はこうした考え方を、ネットフリックスやその他の映像配信サービスだけではなく、さまざまなメディア全体の利用法にもいえると解釈した。メディアとの関係性自体が激変しているわけで、そう考えれば第4章「音楽でなにが起こったか」でストリーミング・ミュージックについても詳しく検証していることに納得ができる。
物理的な円盤を店で買う、というかたちがダウンロードに変わることは大きな変化だった。流通が変わるということは、それを聴くための機器の市場も、曲を売るためのマーケティングも変わるということだからだ。だが、現在起きはじめている変化にくらべれば小さい。なにしろいま起きている変化は「所有しない」スタイルが主流になるかもしれない、という変化なのだ。(115ページより)
これは音楽について書かれた部分だが、映像も含めたすべてのパッケージメディアとの関係性にも同じことがいえるはずだ。つまりは、ネットフリックスに代表される「見放題」メディアとのつきあい方もまた同じだということである。そういう意味では本書は、単に新しいメディアの可能性を提示しただけではないといえる。そこに絡む私たちのライフスタイルの未来について、さまざまな角度から考えるきっかけともなるのである。
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『ネットフリックスの時代
――配信とスマホがテレビを変える』
西田宗千佳 著
講談社現代新書
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