なぜ「共感」は、生きづらさを生んでしまうのか...「伝える」よりはるかに強い「伝わる」の魔法の力
彼女は書くために生物学に転向したという面があったと思います。彼女はこの頃、自分で物語をつくる想像力に自信がないと周囲に打ち明けています。ところが生物の世界には壮大な物語がある。みずから物語を創作しなくても、生物の織りなす進化の歴史そのものが壮大な物語です。そこに彼女が心から書きたいと思える主題があった。
自然の声を、言葉に置き換えていくときには、何より科学的な正確さが大切になります。想像で事実を補うよりも、自然が実際に行っていることを嘘偽りなく書くほうが、スリリングな物語になる。
土壌学者の友人に教えてもらったのですが、コーヒースプーン2杯分の土には、人間の大脳を司る神経細胞の数に匹敵するほどたくさんの細菌がいるそうです。わずかな土ですらとてつもない複雑さを内包している。だから、自然を精緻に描写することができれば、人間の頭で考えた物語より、ずっと面白いものになる可能性がある。だからこそカーソンはいつも、科学的な正確さと、言葉の詩的な美しさとを、高いレベルで両立させようとしていました。
人間は「共感」によって新たな秩序をつくる生き物
──本書の結で、「より多くの共感はより深い苦しみを意味する」「悲しみに根ざしたまま、さらに深く共感を育んでいく」といった言葉が胸に響きました。この共感する力、感性について森田さんのお考えをお聞かせください。
少し脱線するかもしれないですが、まず、「伝わる」ことと「伝える」ことの違いについて、少しお話しさせてください。
絵本作家M.B.ゴフスタインの作品に、『ピアノ調律師』という素晴らしい絵本があります。ピアノ調律師のおじいさんが、息子夫婦が亡くなってしまったために、幼い孫娘を引き取ることになる。おじいさんは、自分の仕事に誇りを持っているのですが、孫娘には「もう少し良い仕事」に就いてもらいたいと思っている。調律師よりもピアニストになる方が、孫娘はいい暮らしができるはずだと信じている。だから、孫娘にピアノを教えること、いつか彼女がピアニストになれるように導くことが、自分が彼女にできる最大の貢献だと思っている。
ところが、孫娘はピアノ調律師になりたい。なぜなら、おじいさんが調律師の仕事に誇りをもっていること、それが素晴らしい仕事であることが、おじいさんの日々の細部から孫娘にしっかり「伝わって」しまっているからです。愛する孫娘におじいさんが「伝えよう」としていることの外で、すでに「伝わって」しまっていることがある。